大人になるには時間がかかる

私がここで人生についていろいろ書くようになってから、「それが大人だよね」というような表現をときどき使っていることに気がつきました。

たとえば、自分は境遇に恵まれていなくて不幸だとか、才能がないからできそうもないだとか、そういうことを言わずに日々を頑張って生きるのは大人です。自分で自分の心を満たすということができて、いつも自分の見えている世界にだけ没頭することなく、社会とか人間関係とかの中で他人のために何かをすることができるというのが大人だと思います。他人が自分とは違った考え方を持つ人間だということを理解して、それを尊重するということもそうです。

誰でも簡単にできることを、わざわざ言ったり書いたりはしません。つまり、大人になるというのは簡単なことではないんです。20代の真ん中くらいだと、たぶんまだ中身がしっかり大人になっている人というのはそんなにいません。30代になっても、おそらく成長過程です。

すべてを完璧にできる人間というのはいないので、完全な大人というのもいないはずです。そのため、人生はいつでも成長過程になるわけですが、それでもこれくらいは欲しいよねという一定のラインがあります。それは私がさきほど述べたような、自分の不幸を恨まずに前を向いて生きていけることとか、他人のことを考えることができるといったことなのだと思います。

いつでも人間は不完全で、成熟には終わりがないっていうのは、どちらかというと希望に属する話だと感じます。オンラインゲームのようなタイプのものを除けば、ゲームはクリアしたら終わりです。ラスボスを倒せば目標はなくなりますし、自分があんまり強くなって装備が充実し過ぎると、逆に面白みがなくなったりします。人生ではそういうことは起こりません。人間関係はいつでも広がるし、30歳になれば20歳の頃よりもいろいろなことがもっと上手くできるようになります。楽器を弾いていても、絵を描いていても、上達には終わりがありません。自分の腕前が十分でないということに日々悩みながらも、それでも全体としてはその過程を楽しむことができます。

子どものほうが自由だとか、遊べるのは学生時代だけだというのは大嘘です。大人になるという過程を楽しんで、大人になったということで得られた人間関係や環境、スキルを使う楽しみといったものを味わえるようになるといいと思います。

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人と違っていたいけど、仲間はずれは嫌みたいな

大学生に自己紹介をさせると「変わり者ですがよろしくお願いします!」という言葉で締める人がすごく多いという話を聞いて、ちょっと笑ってしまいました。何か人とは違った特別な存在でいたいという願望があるけど、大学生くらいというのは仲間の目をすごく気にしている部分もあって、その微妙な自意識がそういう発言となって現れるんですね。

大学生1年生というとだいたいは18歳の子で、これくらいの年齢というのは、まだそこまで個性は出てきていないのが普通だと思います。それは人間的にもそうですし、能力的にもそうです。「変わり者ですが」の発言が面白いのは、そこに実態が伴っていないというところです。これは何もバカにしているわけではなくて、そうそう自分の若い頃にも覚えがあるよね~っていう微笑ましいような気持ちになるよねって話です。

現代はもう閉鎖的な村社会ではないので、「人と違っていながら、人と仲良く暮らす」というのは十分に可能になっていると思います。自分らしくあろうと思ったら、人と違ってしまうのは当然です。自分の尖った部分を殺してしまうのではなく、むしろ面白がってどんどん伸ばしていけるようになると、自分の人生に対して意味を見つけやすくなると思います。

仲間の人間に対しても、同じ目線を持てるといいと思います。人のヘンなところを面白がれるようになれるといいです。これは自分のヘンなところを否定しない、認められる、むしろ愛おしく思えるという感覚と関連していて、自己の受容と他者の受容というのは並行して進むのではないかと思っています。自分を認められるようになることも、他人を認められるようになることも、人として成長して大人になるということの一部です。

人と違っているあなたを仲間だと感じてくれる人は必ず存在しているので、そういう人を探してください。人生は何かを探す旅です。本当のあなた、そして本当のあなたを認めてくれる誰かを探す旅なのだと思います。

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前向きにやってたら全部自分に返ってくるよ

根拠のないフワフワしたことはあまり言いたくないんですけど、前向きにやってたらちゃんと返ってくるんじゃないかなって話をします。

世の中って、外面がよくて要領のいい人が得をしますよね。「人のせいにしないでちゃんとやる」ということが難しいのは、そうすることで自分がバカを見たり損したりするということが実際にあるからです。真面目に生きている人は、これが難しいということを知っています。だからもし、「人のせいにしないでちゃんとやる」ということをしている人がいるなら、人から見ればこれはすごい人だということが明確にわかります。

人間が生きていて、楽しいことばかりだということはあり得ないので、いつも明るくて前向きで人当たりがいいといったこともそうです。いい人ぶっている? そうでしょうか? もしあなたが常に「いい人」のように振る舞い続けろと言われたら、それは簡単にできることですか? ある人が「いい人」として振る舞うとき、その人は現実に周りの雰囲気によい影響を与え、周りの人間の心によい影響を与えています。

こうした人間は本当に希少なので、もしあなたがそのように振る舞うなら、それを見つけてくれる人が必ずいます。人から尊敬されたいとか、特別な人間だと思われたいといった気持ちはよくありますよね。もしそれを実現したいのなら、実は誰にでもできる(そして誰にでもできるわけではない)方法として、「常に前向きでいる」ということがあります。

これはたぶん、なんとなく「尊敬されたい」みたいな生半可な気持ちではできないことです。それはすごく苦労するし、疲れたときにはやめたくなるし、わかりやすく報われるということがあまりないので。だからこそ、本物だと思われるんですね。

というわけで、前向きにやっていれば全部自分に返ってきます。今日からやってみてはいかがでしょうか。

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レールから外れるほうが普通なんだってば

みんな普通になりたがってる

みなさんは10代の頃、自分はこれからどんな人生を送ると思っていましたか? 明確な目標や予測じゃなくても、なんとなくそうなるのかなって漠然と思っていた将来像ってありますよね。

たとえばこのような人生があります。高校と大学をストレートで通過して、新卒で正社員で就職して、いくつかの恋愛を経験して、ほどほどの年齢で結婚して、子どもを育てる。何も変わったことのない、それでいて理想的なコースです。

このような流れから逸脱したとき、人は何か「レールから外れた」ように感じます。自分は普通になりたかった、普通の幸せが欲しいだけなんだ、と考えます。

「普通」って理想のことだ

しかし、そのようにすべてがうまくいっている人が、いったいこの世にどれだけいるでしょうか? それは「普通」というより、むしろ例外的な状態なのではないでしょうか?

客観的に理解できるように、あえて数字で考えてみます。「8割の人は成功するよね」というハードルが5回続いたとき、これがすべて成功するのは0.8の5乗で、計算すると3割ちょっとの人しかうまくいきません。

そして普通の人の人生を考えるとき、学業、仕事、健康、人間関係など、取り組むべきことは多様です。ここで人間関係だけを考えてみても、そこには毎日接するものとして学校や職場、家庭での人間関係があって、さらにそれ以外の場所での友人関係や異性関係も加わります。

つまり、ハードルは5つどころではないわけです。さらに、8割が成功するなんて簡単なことは、現実世界にはそんなにありません。ここで仮に、5割の人が成功するハードルが10個続いたとして計算すると、すべてクリアする確率はだいたい0.1%くらいになります。これを当たり前に得られると思う人はまずいないでしょう。

人は「自分は大富豪に生まれなかった」ということを真剣に嘆き悲しんだりはしません。それは普通のことではないとわかっているからです。では、「普通の幸せ」はどうでしょうか? これも実は、同じような種類のものだとは言えないでしょうか?

何かうまくいってないほうが普通

「うまくいかないときだってあるんだから、あまり落ち込まないようにしよう」というのは、人の気持ちの持ち方について言及していますよね。落ち込まないようにしようというのは確かにそうなんですが、もっと大切なことがあって、それは「何かうまくいってないほうが普通なんだ」という認識を持つことです。

実生活でいろいろうまくいっていないことを嘆く人はいても、大富豪に生まれなかったことを嘆く人はいないというのは、その人の期待がどこに設定されているのかということが関係しています。「大富豪に生まれるべきだ」というのは、普通はその人の期待として設定されていないので、それが得られなかったといって「裏切られた」と感じることはないわけです。

しかし、「普通の幸せが得られるべきだ」というのは、その人の期待として既に設定されています。さきほどの確率の計算で見たように、実はそれが非現実的な期待であるとしてもです。本人はそれが、すごく高いレベルに設定された期待だということを認識していません。期待して得られないなら、そこには「裏切られた」という感覚が出てきます。

大富豪に生まれなかったというときに「裏切られた」という感覚が出てこないのは、そういう気持ちを意識して抑えようとしているのではなくて、最初から期待を持っていないから、そもそもそういう感覚が出てこないわけです。

理解と工夫で対処する

「無理にそうしようとするのではなく、心の仕組みを理解することで自然とできるようになる」ということはけっこうあります。私がこのブログでよりよく生きるためのヒントについて書いているときにも、そのような視点を意識していることが多いです。

うまくいかないことが普通なのだという認識を持てれば、落ち込んだ気持ちを無理に奮い立たせるということをしなくても、そもそも「そういうもんだな」と思うだけなので、あまり落ち込むことがなくなります。これは気合いではなく、理解と工夫で現実に対処するということです。

やる気がなくても何曜日の夜には必ずジムに行こうとか、間食をしてしまうからそもそも家にお菓子を置かないようにしようといった工夫がありますね。これは「意思の力なんて弱いものだ」ということを理解して、生活習慣や環境を整えるという工夫で対処している例だと言えます。

「レールから外れる」というのは、現実と現実認識の間によくあるズレの一例です。現実に対する認識がずれていると、何もうまくいかないし、うまくいっていないという自覚があるのでストレスが溜まります。いつでも現実をきちんと認識して、それを理解して、それに対処するような工夫を心の中に作っていくということが大切だと思います。

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モチモチ怪獣ふみ子のフォトギャラリー 2023年

私が一緒に暮らしている、白文鳥のふみ(通称:ふみ子)の写真集です。2023年版です。せっかくなので、ふみ子がこの世に存在している間は毎年やろうと思います。

ふみ子を我が家にお迎えしたときのことは「モチモチ怪獣ふみ子の話 (2023.10.6)」に書いています。また、noteにも「君たちはもっと文鳥の素晴らしさを知るべきだ (2023.12.1)」という記事を書きました。

赤子を溺愛する親のように写真を撮り続けていたので、厳選したつもりが大量になってしまいました。お楽しみください。

春(3月〜5月)

(2023.3.19) 我が家にやってきた翌日。この頃から既に怪獣だったようです。
(2023.3.23) ちびっこ雛時代は背中がグレーです。生え変わって真っ白になるのは数ヶ月あとのこと。
(2023.3.31) アルブレヒト・デューラーの版画を思い起こさせるような…。

夏(6月〜8月)

(2023.6.4) 髪型がイカしていたときのふみ子
(2023.6.6) ムンッッ
(2023.7.7) 「スサー」と呼ばれる翼のストレッチ。ケージで落ち着いているときによくやりますが、1秒くらいのことなので、写真に納めるのは案外難しいです。
(2023.7.20) フワッフワ…フワッ…
(2023.7.20) ソフトクリームの妖精です。弾力のあるモチモチがここに…。
(2023.7.30) 野菜が好きです。わざわざ登って食べます。
(2023.8.25) たまに部屋の中を飛び回ります。鳥だもんね。
(2023.8.26) 文鳥は人間の見ていないところで、人知れず静かにダンスを踊っていることがあるそうです。
(2023.8.29) キュートなお顔とお腹。お見合い写真に採用できそう。

秋(9月〜11月)

(2023.9.1) ピャッ
(2023.9.13) 人間食べ食べ怪獣です。人間を食べます。おいしいのか?
(2023.9.16) かわいいね。
(2023.11.11) 文鳥の正面顔かわいすぎ委員会 名誉会長
(2023.11.15) 安心して寝ています。寒くなると、顔を背中の羽毛に埋めます。
(2023.11.17) 毎日撫でて差し上げています。撫でて差し上げるのが人間の義務です。
(2023.11.19) 0歳にしてこのあざとい顔である
(2023.11.24) お菓子の箱の上でやりたい放題しているふみ子
(2023.11.24) 見える…檻に入れられた人間の姿が…
(2023.11.25) 翼のお手入れです
(2023.11.28) 羽が抜けました。人間により、記念品として日付をメモして保管されます。

冬(12月)

(2023.12.8) 小さくても恐竜の末裔なのでね…
(2023.12.9) かっこいいポーズ
(2023.12.14) それくらいの顔をしてくれれば揉んだ甲斐があるというものです
(2023.12.16) これはよいエビチリのポーズです。審査員のほとんどが10点を出しています
(2023.12.23) ン〜? あの人間は食べたらうまいのか?
(2023.12.23) もちろん一等賞ですが…。
(2023.12.26) 見てください、このずっしりしたいちご大福を…。
(2023.12.27) デカ文鳥です。ご利益があります。

おしまい。また一年後をお楽しみに!