きょうだい児とは – 障害者の兄弟姉妹が抱える苦悩

「きょうだい児」という言葉をご存知でしょうか。何らかの障害を抱える兄弟姉妹を持った人を指す言葉です。単に「きょうだい」と表記されることもありますので、この記事でも「きょうだい」と表記したいと思います。

今回の記事では、そんなきょうだいの抱える苦しみについて触れたいと思います。

孤独感と生きづらさ

障害者の両親の多くは、障害者本人の身の回りのことにかかりっきりになります。つまり、きょうだいは二の次ということです。きょうだいたちは、親が障害者にかかりっきりになることをある程度「仕方がないもの」として理解しています。自分はわがままを言ってはいけない存在だ、と感じます。障害者本人も両親も大変なのだから、というわけです。ある面ではそれは「正しい」ことです。しかし、きょうだいを苦しめるのは、その「正しさ」なのです。

障害者のきょうだいたちは、子どもの頃から半ば強制的に「オトナとしての振る舞い」を身につけなければならなかった人が少なくありません。それは常に「良い子」であるということです。

これは実際に大人になってからも、独特の疎外感、満たされなさという形で残ることがあります。子どもというのは本来、ときには大人に甘えながらもだんだんと自立していくというのが自然な姿です。しかし障害者のきょうだいたちの多くは、そのような子ども時代を奪われた存在なのです。

このような疎外は家庭の中だけで起こるわけではありません。学校などの場でも、兄弟姉妹に障害者がいるということで、からかわれたり心ない言葉を浴びせられたりした経験を持つきょうだいは多くいます。このような悩みの中で、きょうだいたちは誰にも相談できないという状況に陥っていくのです。

立ちはだかる壁

きょうだいの悩みは幼少時代に限ったものではありません。たとえば成長して恋人ができたとき、障害のある兄弟姉妹のことを理解してもらえるかというのは、きょうだいにとって重大な悩みです。結婚を考えている場合には、この問題はさらに重大なトピックとなります。

年を経るに従って、両親の高齢化という問題も持ち上がってきます。障害者本人の介助などを誰が担っていくのかという問題が出てくるのです。このように家族に障害者がいるという事実は、きょうだいの生涯に渡って影響を及ぼすことなのです。

おわりに

この記事で触れたことは、きょうだいの抱えている大きな苦悩へのほんの入り口にすぎません。

この記事を読んでいるあなたはきょうだいの当事者でしょうか。それとも福祉を勉強する学生さんや、福祉の現場で働く方でしょうか。あなたが当事者なら、どうかあなたの苦しみが少しでも軽減されていくことを願っています。あなたが支援者なら、どうか少しでもきょうだいの力になってくれる存在であることを期待しています。

障害のある人もない人も幸せに暮らせる社会になることを願いつつ、この記事を閉じたいと思います。