自尊心を高めるには – 自分を好きになる方法

自尊心を持たずに生きるということは大変に苦しいものです。人によっては、不幸な子ども時代により、健全な自尊心を育めなかったという人もいるかもしれません。

しかし、一体誰に文句を言えばいいというのでしょうか。私たちは自分自身で自尊心を育てていく必要があります。今回はそんな自尊心を育てる方法について考えてみたいと思います。

あるがままを認める

もしかしたらあなたには、「○○さえあれば自分を好きになれるのになあ」と考えている何かがあるかもしれません。しかし、本当の自尊心というのは少し違います。それは無条件なものなのです。「○○だから」という言葉がつかないのです。

あなたが大切な存在であるということは、あなたが仕事ができるからでもあなたの容姿が優れているからでもありません。あなたがあなたであるということが大切なのです。そこに理由や根拠は存在しません。理由がないということこそが大切なのです。

この無条件の自己肯定というのは、非常に深いレベルで行われる必要があります。自分はなぜ存在しているのかという、ある意味で哲学的、宗教的な問いかけが必要となるのです。私は以前、仏教学者の鈴木大拙の「」という本を紹介したことがあります。ここで紹介した思想は、もしかしたらあなたの自尊心を高める上で何らかのヒントとなるかもしれません。

外の世界に興味を持つ

私の好きな哲学者であるラッセルの「幸福論」という本には、「自尊心を身につけるには、客観的な興味に刺激された活動を立派にやり遂げるよりほかに道はない」という言葉があります。

自尊心の欠けた状態にある人は、つい自分の関心が自分の内側へと向かってしまいがちです。しかし、自意識というものは不毛なものです。そこから建設的なものは何も生まれません。必要なのは外界に興味を持つことです。

あなたが興味を惹かれるものは何でしょうか。自我や欲求を拡張する手段ではなく、それについて触れているときには自然と自分の存在を忘れてしまうようなものがないですか。それこそがあなたが向かうべきものです。

内省や自己分析というのは、あくまでときどき立ち返る程度のものにするべきです。外の世界こそがあなたという存在を活かす中心です。先に挙げたラッセルも著書で述べていますが、あなたが外界での活動を精力的に行なった上で、ときどき自身の内側に立ち返ってみるとき、そこには宝石のように豊かな内面が見出されることでしょう。

「努力」は必要ない

あなたの心がもし後ろ向きになっているのなら、前向きになれるような多少の努力はしたほうがいいでしょう。しかしこの「努力」という言葉が曲者です。私はここで努力という言葉を「がむしゃらな努力」というようなニュアンスで使ってはいません。

がむしゃらな努力というのは、健全な自尊心を育む上ではむしろ避けるべきものです。それは先に述べた条件付けの一部だからです。「努力して、成功してこそ自分には価値がある」というのは健全な自尊心とは言えません。

この辺りについては、私は過去に「頑張らない生き方 – 努力が報われないと思ったら」という記事を書いたことがありますので、そちらも併せて参照してみてください。

おわりに

健全な自尊心を育てていくヒントについて述べてみました。ポイントはあるがままを認めること、内面ではなく外界に興味を持つことです。

自尊心を高めるということは、あなたの人生をかけて向き合うべきトピックのひとつです。あなたが健全な自尊心を身につけ、この苦しいことも多い人生の中で、自らの幸せを掴んでいくことを願っています。