私のうつ病体験談 (第1回) – 20代・30代をうつ病者として過ごして

一度きりの人生で、何を体験するのかは人によってそれぞれです。私は20代の始まりという人生の船出の時期にうつ病を発症し、30代になった今もそれに苦しめられています。

病(やまい)というものに振り回された私の人生について、このブログで一度振り返ってみたいと思います。こうしたうつ病の体験記が何かのお役に立てれば幸いです。

今回の記事は第1回になります。

幼少期の兆候と10代の暮らし

幼少期、私は人付き合いの苦手な子どもでした。周囲の世界とうまく付き合えないという違和感は、保育園時代から既にあったように思います。小学校時代にそれは顕著となり、ここではいじめを受けるなどの経験もありました。小学校高学年頃から、私は次第に不登校の児童となっていきます。

私の父親は地方公務員の仕事をしており、この父親もまた周囲の世界にうまく溶け込めない人間のようでした。優しくしてもらった記憶はほとんどありません。子どもの頃、父親が何かの拍子に不機嫌になるのが嫌だったのと、この父親が夜中にうなされたり、ひどいときには嘔吐をしていたことなどを覚えています。

中学校時代はまったくの不登校でしたが、当時まだ一般的でなかったパソコンが我が家にあったことは、私にとって救いでした。Windows 95が発売されたのは私が10歳の頃です。私はすぐにプログラミングというものにのめり込みました。ゲームやツールなどを制作し、インターネットを通じて発表していくのが楽しかったのです。

高校に進学したとき、私は一転して皆勤の生徒となりました。この高校は実家から離れたところにあり、人間関係が一度まっさらになったことと、はみ出し者にも優しいという学校の環境が私に合っていたことがよかったのでしょう。私は遅れを取り返すように猛烈に勉強しました。この時期に覚えてることは、ときどき原因不明のひどい腹痛に襲われることがあったということです。思い返せば、あれは私が無理をしているという最初のサインだったのかもしれません。

学生時代と就職

18歳で、私は大学ではなく情報系の専門学校に進学しました。さらに通信教育で商業系の短大にも通い、2年間でふたつの学校の単位を同時履修するということをやったのです。この時期も私は猛烈に勉強しました。専門学校では人間関係に恵まれ、非常に楽しい生活を送れたことを覚えています。

不調の兆候は19歳の夏に現れました。通信の短大のほうで小論文を書く課題があったのですが、頭の中が丸ごと鉛のようになってしまって、何も書けないのです。この小論文が書けない状態は、数週間続いたと思います。ある時期が来ると、またなんとか文章が書けるようになり、どうにか小論文を仕上げました。

19歳から20歳にかけて、私は就職活動を行いました。10代の頃からプログラミングを得意としていた私は、自然な流れとしてシステムエンジニアという仕事に就くことを目標としました。特に私はグラフィックスを描画するプログラムを得意としており、第一志望もそれに関する企業でした。

私は第一志望の企業に内定を貰いました。不登校だった中学時代から、高校と専門学校での復活にはめざましいものがあったと思います。私の人生は順調に流れていくかのように思っていました。

今回の記事はここまでです。第2回に続きます。