なぜ働かなければならないのか – 私たちが仕事をする理由

私たちはなぜ働かなければならないのでしょうか。ここでは、働くことが倫理的によいことかどうかといった議論はいったん置いておくこととします。

それがよいことであれ、それほどよくないことであれ、私たちは働く必要があります。なぜでしょうか。

自給自足の暮らしをするなら

もし私たちがお金といったものを使用することなく、完全に自給自足の暮らしをするとしたらどうでしょうか。

それは現代的な労働とはかけ離れたものになると思いますが、それでも私たちは働く必要があるでしょう。自分が生きるために、食料を確保する必要があるからです。

衣食住という言葉にあるとおり、私たちは着るもの、食べるもの、住むところを必要とします。これはそのままの形で天から降ってきて与えられることはありません。私たちは何らかの形でそれを自然界から獲得する必要があるのです。そしてそれは、すべての生き物が行なっていることです。

物々交換の世界に住むなら

もう少し進んだ社会として、物々交換の社会というものを考えてみましょう。これは言い換えれば分業の社会です。

あなたが狩猟が得意なら、食料を取ることを主として働くのです。あなたが道具を作ることや、家を建てることが得意なら、それを主として働くのです。そして自らが生産したものを、他人が生産したものと交換することで生活を成り立たせます。

ここでもあなたは、何らかの形で働く必要があるでしょう。こちらに何もくれない人に、何かをあげる義理はないからです。

現代社会で暮らすなら

現代社会は、物々交換の社会がより複雑になったものと言えます。いちいち食料や道具といったものを物々交換していては面倒なので、ここでそれらを交換するための便宜上の手段として、お金というものが考え出されました。

われわれはお金というものを通して、自らが生産したものを社会に分け与え、他人が生産したものを社会から受け取っています。

私たちが暮らす家は誰かが建ててくれたものです。私たちの歩く道路も、スーパーで買う食品も、電気も、水も、誰かの仕事によって私たちの元へ届けられたものです。私たちの生活は、数えきれないほどの数の人の仕事によって支えられています。

私たちはその仕事に対して、対価を払う必要があるのです。それが私たちの働かなければならない理由です。

人はなぜ働かなければならないのか。なぜ生きていくのにお金が必要なのか。そういう疑問が出てくるのは、お金というものが中間に存在することによって、私たちが相互に助け合って生きているという事実が見えにくくなってしまったことによります。

私たちが働かなければならないのは、他人が私たちのために働いてくれているからなのです。

ちょっとした補足

さきほど私は「こちらに何もくれない人に、何かをあげる義理はない」と書きました。しかし、現代の社会はそれよりもっと進歩しています。

世の中には、病気や障害などの理由によって働けない人がいます。そうした人たちのことを私たちは「生産性がない」という理由で見捨てるでしょうか。そうはしません。私たちには良心があります。あなたに良心があるのなら、そうした人たちをあっさり見捨てることはしないでしょう。社会全体でそれを支える方法を考えるでしょう。それが社会福祉というものです。

そしてもうひとつ補足です。私たちは倫理的に働かなければならないわけではありません。労働は美徳ではありません。たまたまこの社会が、お互いの仕事に依存する仕組みになっているというだけの話なのです。

おわりに

今回のお話は以上です。ポイントは、人は仮に自給自足の生活をするとしても何らかの形で働く必要があること。物々交換の社会では、それが分業の形になったこと。さらに現代社会では、中間にお金というものが存在することで、分業と交換というものの本質が見えにくくなったことです。

会社組織などで働いている場合、ストレスを感じることや、いろいろと納得できないことに遭遇することもあるでしょう。そんなときには、ここで書いた労働の本質に立ち返ってみることをおすすめします。

私たちは単に、今日と明日を生きるために何かをしているだけなのです。労働はそれ以上のものでもそれ以下のものでもありません。願わくば、仕事というものに過剰に振り回されることなく、肩の力を抜いて生きていけるといいものですね。