長期休暇を通じて感じた「定年後が暇すぎる」の危機

筆者は現在30代半ばですが、リタイア後の生き方をどうするかについて、最近よく考えることがあります。なぜ私はリタイア後のことを考えるようになったのか、そしてリタイア後に必要なものとは何か。今回はそんなリタイア後の生活について考えてみたいと思います。

リタイア後の時間は現役時間より長い

「定年の教科書」という本に面白い事実が載っています。定年後の自由時間は、現役の頃の労働時間より長いというのです。具体的には、現役の頃の労働時間は8時間×250日×43年で8万6000時間。それに対して、定年後の自由時間は14時間×365日×20年で10万2200時間です。

新卒から定年までの長い長い43年間の労働時間より、定年から比較的健康で過ごせるであろう20年間の自由時間のほうが長いというわけです。これは驚きの数字と言えるのではないでしょうか。

この書籍では、定年後に必要なものを「お金」「健康」「生きがい」の3つとして挙げています。この3つはもちろんお互いにリンクしています。「お金」と「健康」が大切なのは誰でも理解できる話ですが、先ほど述べた自由時間の話を聞くと「生きがい」が俄然重要に見えてきます。

私たちは定年後に、フルタイムの仕事に相当する大きさの生きがいを見つける必要があるのです。

私を突然襲った空白の時間

30代の私が、まだまだ先の話であるはずの「定年後」を意識し始めたのは、2020年から世界に現れた新型コロナウィルス(COVID-19)の影響です。私はエンジニアの仕事をしているのですが、コロナの影響で仕事が休業となり、現在は自宅待機しています。

まだまだ健康で元気に動き回れる私に、突如として膨大な自由時間が与えられたのです。もちろん会社からは給与の補償を受けているので、自宅待機の間は業務に関する在宅学習を行うなど、「業務に似たもの」はあります。しかし、それでも余ってくる時間は相当なものです。

以前にもこのブログに書いたことがありますが、「日々やるべきこと」のなくなった生活というのは急激に色彩を失います。生活にメリハリがなくなると、生きるということそのものへのモチベーションがなくなってくるのです。

趣味一つだけでは足りない

私は楽器の演奏を趣味としているので、無趣味の人よりはまだマシな状態であったと言えるでしょう。しかし、私はかなりの確信を持って言えるのですが、おそらく定年後の時間というのは一つの趣味だけでは満たせません。好きで好きで仕方がないことがあっても、たぶんそれだけでは足りないのです。

「趣味一つだけでは足りない」ということには、二つの意味があります。まず、文字どおり「一つだけのこと」で膨大な時間を埋めるのは不可能だということ。そしてもう一つの意味は、「趣味だけで足りない」ということです。何か仕事に類するような、生産的な活動が必要になってくるということです。

私が休業中の時間に始めたのがこのブログでした。ブログの執筆は頭も使いますし、生産的な活動で、いい記事を書けば少なからず誰かの役に立つことができます。これは「仕事に類する活動」と言えるでしょう。

私の休業中の生活は、ブログという生産的な活動を加えることによって、ようやく安定したように思います。会社の仕事の在宅学習を行い、ブログを書き、楽器の演奏をし、生活のこまごまとした雑事を行う。今の私はそんな生活をしています。

「ようやく安定した」という言葉を使いましたが、ブログを書くようになる前の私は、メンタルが不安定になりがちでした。「やるべきことのない生活」というのは、それほどまでに人の心を不安定にさせるものなのです。

おわりに

私はリタイア後の生活というものを、長期の休業を通して非常に生々しい形で想像することができました。現実に私を襲った無気力感などは、おそらく実際に仕事を失ってみないと想像することは難しいでしょう。

私は人生の比較的若い段階で、定年後の生きがいを作ることの必要性に気づくことができて幸運だったと思います。これを読んでいるあなたが今いくつで、どのような状況にあるかは分かりません。願わくば、あなたが早い段階で私と同じようにこの事実に気づき、リタイア後の生活を上手に充実させていくことを希望します。