いつまで運命の人を待つつもりだ?
生きていて、目の前のことが思いどおりになるということはめったにありません。これがつらいのは当たり前ですし、期待してしまうからつらくなるのだと言って、この人生に何も期待するなというのは無茶な話です。そこで、残念なことは残念であるとしても、そこに執着しないとか振り回されないということが大事になってきます。
スポーツでも趣味の創作でも、結果が出ないことを続けるのはしんどいですよね。仕事だって、ちゃんと評価されなければやる気はなくなります。人には向き不向きと相性があって、報われないことを続けていてもしょうがないので、自分に向いている領域を探すということが肝心です。
叶わないということに関して、それが最も強くてわかりやすい例は恋愛でしょう。私は飲酒代わりの恋愛を美化するのはやめろ主義者なので、気持ちはわからないではないにしろ、叶わぬ恋を持ち上げるのはちょっとどうなのかなと思っています。
「世界にひとりだけの特別な存在」みたいな概念を信じるのはよくない気がします。世界にひとりだけの存在が地球上の人間それぞれにいたとして、高校や大学で出会う数十人の中にそれがいるということを大多数の人間が経験しているというのは、計算が合いません。つまり、みんなそう思い込んでるだけなんです。
こういった特別さの幻想は、「天職」や「自分が本当にやりたいこと」のような形を取ることもあります。通常、それが現実になることはありません。ないものを求め続ければ、満たされないという思いにずっと苦しむことになります。
努力した上で、偶然を待つ
相性のいい人間はいるし、特別な存在だってそのうちできます。ただ、その特殊性というのは性格的な相性だけではなくて、人生におけるタイミングや環境の偶然みたいなものも絡んでいて、パズルのピースのように純粋な人間性だけが綺麗にはまっているということはあまりない気がしています。
うまくいっている人間関係を支えているのは、うまくやっていくためのスキルと、日々の地道な努力です。半年や一年の間だけベタベタするのなら、スキルも努力も不要でしょう。ただ、私たちが求めているのはそういうものではないはずです。これが10代のうちなら、熱に浮かされた恋愛もひとつの経験かもしれません。ただ、人はいつまでも夢見る子どものままではいられないし、人として成熟するなら、人間関係だって成熟したものになっていくべきです。
運命が降ってくることを期待しないで、ちゃんと自分の人間性を磨いていくということが大切だと感じます。そして、偶然の存在はそれはそれとして認めて、普段の生活の中で人間関係を広げながら、少しだけ特別な出会いがやってくるのを待つんです。
世界にひとりだけの誰かなんていません。でも、100人にひとりだけ存在するような相性のいい人は、あなたの周りにきっといます。これは現実的な希望です。いつか、そんな人との出会いが身を結ぶことがあるはずです。
(付記:この記事は2023年末〜2024年初頃に執筆されて未公開のまま眠っていたものです。シロイブックスの1周年が近くなり、未公開記事の存在をふと思い出したので、ひっそりと公開します)