世界は相性でできている

人生では、ステージが変わるときに大きな段差が存在しています。進学、就職、結婚といったものがそうですね。この中でも、特に就職と結婚という段差を登るときには大切な考え方があって、それは「相性」という観点です。

人と人には相性があるというのは、考えてみれば当然のことですが、そのように割り切るのは難しいことです。就職にあたって、応募した会社に落ちるということを一度も経験していない人はほとんどいないでしょう。苦労して自分の経歴をまとめた書類が突き返されたとき、自分の存在を否定されたような気持ちになります。これはそこそこキャリアを積んで、転職に慣れたりすると「まあ、落ちることもあるよね」と受け流すことができるようになりますが、最初の何回かはかなり苦しい思いをするはずです。

もっとわかりやすい例は恋愛関係の終わりで、これはほとんど自分のすべてを持っていかれたような気分になることがあります。愛情における関係とは自立した者同士の関係であるべきで、相手がいなくなっただけで自分の中身が失われたように感じられるのは未熟である……というのは外野だから言えることであって(あなたは恋をしたことがないんですか??)、真剣に自分の心を注いできた関係が実らなかったとき、そのように感じるのは無理からぬことです。

ここで挙げた就職と恋愛という例は、いずれも「人から認められる」ということに関わっています。仕事も結婚も、単に生きていく上でのシステムにすぎないと言うこともできますが、普通の人はそこまで割り切れないでしょう。人間が絡む場面で、相性という要素がない場面を考えることは難しいと思います。

新卒者の採用であれば、会社のカラーとその人の持つ価値観や雰囲気、ポテンシャルなどの相性が見られますね。中途の転職であれば、たまたまそのとき空席になっているポジションに経歴とスキルがマッチするかどうかです。恋愛であればもっと広く人間性について見られますが、そのときそのタイミングで心の中に何を求めているのかということも影響します。20歳のときと30歳のときでは、相手に求めるものが違っているのは当然です。

これはその人のレベルがどうこうといった話ではないんですね。「相手の求めるレベルは80だったけど、自分の魅力は60だった」と考えるのは間違いです。ほのおタイプのポケモンしか手元にないときに、相手がみずタイプのポケモンを出してきたら、それはもう諦めるしかないです。それで負けても、そのポケモンが弱いとかじゃなくて、相性が悪かっただけです。

全方位に対して相性が悪いという人はいないので、相性のいい人間や環境は必ずどこかに存在しています。もっとも、簡単に見つかるわけではないので、苦労することはすると思います。まあ、それは人生で必要な苦労です。

失敗してもそんなに落ち込まなくていいです。いつか相性のいい人が現れるということだけは疑わずに、地道に頑張って生きていくといいと思います。

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人生が充実し始めてびっくりした話

ラジオ体操の曲に「新しい朝が来た 希望の朝だ」という部分がありますよね。お前それ月曜日の朝を前にしても同じことが言えんの? と以前から思っていたのですが、驚いたことに、最近の私は「希望の朝」みたいなものが実感としてわかるようになっています。

ときどき書いているように、今の私は「ものを書いて生計を立てる」という夢みたいな夢を持っています。今はそれに向かって、毎日目の前にあるやれることをやっています。ほんの数ヶ月前まで、私は深い憂鬱の中に沈んでいて、もう人生で何もやりたいことはないし、実際に何もやりたくない、という状態がずっと続いていました。毎日が虚しくて、時間が過ぎるのが遅くて、ようやく一日が終わるということに安心していながら、その一日に何の意味もなかったということを自分で知っているのが苦痛でした。私は今、どうにかそこから抜け出して、自分のやるべきことを見つけました。

どの毎日も24時間しかないので、いつでも時間が足りないと感じます。お昼が来るのが早いし、夜が来るのも早いです。毎日、日が落ちてノートPCを閉じる頃には、「今日も頑張った」というはっきりした感覚があります。朝が来れば、よーし今日も頑張ろうって思います。あれ、私の人生って充実してる? これはもしかして、充実というやつですね。すごいね。

実際のところ、私が持っている夢みたいな夢が叶うのかはわかりませんが、今はこれでいいと思っています。真剣にやったことは何も無駄にならないので。人生が充実モードに入るとめちゃくちゃ楽しいです。みなさんも頑張りましょう。

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人間ごとに適切な距離感がある

言葉にしてみるとごく常識的なことだと思いますが、人間同士の相性は「どの程度まで仲良くなれるか」に表れます。

これがどういうことかというと、うっかりそのラインを超えてしまったときには、人間関係というのは破綻するということです。どんなに親しい間柄であっても、踏み込んでほしくない部分はあると思うので、「あらゆる人間関係は、近すぎると破綻する」と言ってもいいかも知れません。

友達になるようなタイプではないけど、職場の仲間としては十分にうまくやっていけるという人がいますね。友達にはなれるけど恋人にはなれないとか、恋人にはなれるけど夫婦にはなれないといったこともあるでしょう。

誰にでもときどきあることですが、特定の誰かを好きになって、その人に強く執着してしまうことがあります。そうなると適切な距離感を超えたものを求めてしまうことが多いので、もう少し距離があったら長く続いたかもしれないと思うようなケースでも、関係が終わってしまうことがあります。まあ、恋人になれないなら顔も忘れたほうがマシだという人もいるかもしれませんが、ある程度まで相性がよかったということは事実であることも多いので、ちょっともったいない場合もあります。

いわゆる「距離感がバグっている人」というのは、今現在の現実の距離感と、これから構築可能な距離感をうまく認識できていないという場合に起こります。よくあるのは、近すぎるものを求めて依存的になったりする人ですね。

たまにですが、逆に遠すぎる人もいます。学校や職場等で、もう少し気軽に接してもいいんじゃないかと相手は思っているのに、近づかないでほしいというオーラを発していたりする人がそうです。誰だって人と距離を取る自由は持っているので、これについて事情を知らない人がとやかく言うのもいけませんが、やっぱり人間関係をうまく築かずに人が幸せに生きるのって難しいことだと思うので、もう少し近づくということをしてもいいんじゃないかな〜と思うこともあります。まあ、「もっと打ち解けろよ〜」っていうのは完全におっさんムーブなので、気をつける必要はあります。

人間関係に関しては、「境界線」とか「アサーション」みたいな心理的な概念を勉強するのもいいですが(知らない人はぐぐってみてね)、とにかく場数を踏んで経験と勘でなんとかしていくしかないみたいな部分もあります。距離感については、おそらく主に経験と勘に属することでしょう。

恋人や家族といった近しい距離感から、顔見知りや職場の仲間といった程度まで、人間関係にはさまざまな距離感があって、それぞれにおいてうまく関係を回していく力が求められます。上手に人間関係をやっていくスキルを身につけていきたいですね。

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人は欠損でできている

本当のことを語るということ

自分を本当に動かしてくれるのは自分にとって本当のことだけだし、人が何かを言うことで他の人の心に響くものがあるとしたら、それもやはり本心で言ったことだけではないかと思います。そして、人が何か本当のことを言うときというのは、その人の個人的な領域に深く関わっていることが多いです。ここで、少し私自身の話をします。

今これを書いている私が、今このように考えるようになったのは、実際のところ自分の意思ではありません。私を方向づけたものは、自分には何かが「ない」とか、自分にはそれが「できない」といった事実たちです。

お腹がいっぱいの人は、食べ物について考えませんよね。食べることについて考えるのは、お腹が空いている人だけです。私が人生の意味や人の幸せというものについてずっと考えているのは、そういうものが自分には「ない」という強い実感に基づいています。長年考えて、いろいろな経験もして、今では自分がまったくそういうものを持っていないとは思わなくなっていますが、少なくとも私の人生の大半で駆動力となってきたのは、「ない」というその実感です。

私になかったもの

私は今、自分が考えたことをこうしてネット上で言葉で語っていますね。このことは実は、私が「ない」から出来上がっているということのちょうどいい一例です。

私が使っている言葉は、昔からたくさん読み漁ってきた本と、ネット上で常に言葉によるコミュニケーションを行ってきたという経験でできています。本やネットというものが私にとって重要だったのは、私が学校や会社といった普通の社会生活をうまく行うことができなかったからです。周囲の人間に馴染めるなら、ネットでの繋がりなんてそこまで重要ではないでしょう(私がネットを始めたのは、まだ今のようにSNSが一般的でなかった時代です)。

また、言葉で語るということには、その物事についてよく考えるということが必要です。私がいちいち何かを考えるのは、普通の人がフィーリングと空気で理解できることをそのままの形では理解できないからです。社会や他人のことがよくわからないから、感覚でうまく生きていくことができないからこそ、理屈で考えるんです。自分の考えを整理して、文章にして書くというのは、けっこう大変です。それでも、私はそうせずには生きていられません。

今述べたようなことは、私の性格においてすごく中心的な要素です。私はこのような人間になりたかったからこうなったのではなく、他の人間になれなかった結果としてこうなりました。私をつくったのは、私の長所ではなく、希望でもなく、私に欠けていたものだったんです。

あなたの欠損があなたをつくる

これは「コンプレックスをバネにしよう」みたいな話とはちょっと違います。少なくとも私自身の感覚では、「なにくそ」みたいな気持ちにあまり力はない気がしています。他人を見返してやろうというのは、主体が自分の中にないので、動機としては弱いんです。

コンプレックスをバネにしようというのは、意思を奮い立たせようとするニュアンスがありますね。でも、意思は関係ありません。必ずそうなるんです。あなたの欠損は、必ずあなたを形作るものとなるはずです。

海や陸や空など、すべての環境で問題なく生きていける生物というのは存在しません。足の遅い動物は、外敵から自分を守るための殻を発達させることがあります。あなたに何が欠けていようと、あなたは生きていかなければならないので、そこでは他の何かを発達させるということをするはずです。

必ずそうなるのなら、何故わざわざこのようなことを言っているのかという話になりますね。それは、欠損というのは呪いなので、人はそのことを前向きに捉えるということがすごく難しいんです。あなたが苦労して他の何かを発達させたとき、それは宝物になるはずです。最終的に、どうにかここまで生きてきた自分というものの姿を見るとき、そこには誇りのような感覚を持つことができると思います。

最後にはそれが宝になる

欠損は呪いだという意識が強いと、自分がそうした中でなんとか生き抜いてきたのだという、誇りの感覚を見落としてしまいます。自分の存在を否定したい人はいないはずです。私はこれを読んでいるあなたに、この誇りのような感覚を見つけてほしいと思っています。

これはまったく個人的な過程になります。本で読んだ知識も、人から聞いたアドバイスも体験談も、ときには役に立ちます。それでも、実際にやるのは自分だし、それを支えてくれるのも自分だけだし、結果を引き受けるのも自分です。ゲームのようにリセットはできないし、攻略本も攻略サイトも存在しません。

頑張ってほしいと思います。それは最後には宝物になるはずです。個人の体験を客観的な証拠だと言うことはできないので、私に言えるのは、私はそうだったのだということだけです。

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ちゃんと好きだって言え、何回でも言え

言わなければ伝わらない、というのは人間関係の大原則です。何か仲たがいしそうだったり、要望があったりするときにちゃんと話し合うという点でも大切ですが、単純に相手への好意をはっきりと伝えるということもすごく重要です。

これは何も恋愛的な意味やパートナー関係に限らなくて、少数の大切な友達や、これから仲良くなりたいと思っている人に対しても適用できます。というか、恋人であればそれは定義からしてひとりの特別な存在だとわかっているはずですから(伝わっていない場合もありますが)、むしろ普段の友人関係にこそ必要なことなのかもしれません。

相手のことを大切に思っているというのは、大抵は雰囲気でわかりますが、普通の人は確信までは持っていません。人間関係というのは案外頼りなくて、脆いものです。親しくしているように見せても、何か体裁とか利害関係があって付き合っているだけだということは、残念ながらあります。利害というのは実利的なことではなくて、さりげなくマウントを取って安心するための相手として便利だとか、他に友達がいない寂しさを単に満たすだけといった種類のことです。

何ら疑いの影がささない、全面的に信頼できる相手がいるなら、それは理想的です。しかし、人間関係は綺麗にいくことばかりではないし、それなりに長く生きてきた人であれば、経験的にそれを知っています。常に少しだけ疑いの視点を持っておくというのは、大人として現実の人間関係を理解しているということだし、自分を守るために必要なことでもあります。

言葉で好意を伝えるというのは、この疑いの影を定期的にきちんと取り払うということです。自分にとっては当たり前のことであっても、言葉にすることで、それを改めてはっきりさせることが必要です。大切に思っているとか、こういうところを尊敬しているとか、何年前のあのことに今でも感謝しているだとか、ポジティブに感じていることは何でも具体的に伝えるといいです。

たまに会う程度の友達なら、会うたびにでも言ったほうがいいです。いちいち言いましょう。前に伝えたことでも、何回でも伝えましょう。なるべく別れ際とかにさらりと言えるようになるといいと思います。会ってくれてありがとうとか、いつも話を聴いてくれてありがとうとか、その程度のことでもいいです。

みんなが愛情と関心を求めています。あなたと同じです。自分がそうされて嬉しいと感じるなら、相手にもそれをしてあげたほうがいいです。

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