人生には静かに暗く沈む時期があるんだ

再び季節が戻った話

私が8年間も夢中になって、ほとんど生きがいとも言えるものになっていた楽器をパタリと弾かなくなったという話を、「ひとつの季節が終わった(かもしれない)話 (2023.10.4)」で書きました。その後の話と、感じたことを書きます。

楽器を最後にちゃんと触ったのが7月の頭で、不意にまた楽器に触りたいという気持ちが戻ってきたのが10月の終わり頃です。私が「朝練」と呼んでいた、休日の朝に近所の公園で練習するという習慣が自然と再開されました。12月の半ばである現在、半年近く顔を出していなかったアイリッシュセッションの場にも、ようやく少しずつ復帰していっています。

この数ヶ月間の心の動きは、「傷に絆創膏を貼って、触らずにそっとしておいたら治っていた」というようなものだったと思います。これは私が健康を害して仕事を辞めて、気持ちの底まで深く沈み込んで、そこから回復するというプロセスと並行して起こりました。「触らずにそっとしておいた」というところが大事で、私は自分の気持ちを自分でどうにかしようとはしませんでした。それは「直した」のではなく「治った」という感じです。

ちょうどそれが治り始めた頃、私はたまたまSNSのアカウントを変えたということを知らせるために、私の尊敬しているプロの奏者の方にメッセージを送りました。そのとき、私がこの楽器と音楽からしばらく完全に離れていたということに触れると、意外にも、その奏者の方も同じような時期があったという話をしてくれました。

プロの奏者の方というのは、私のようなアマチュアと比べれば、音楽にかける熱意もそれが持つ重みも全然違うはずです。それでもそういうことが起こるんですね。考えてみれば、もっと普通の職業に就いている人だって、自分の歩んできた道にふと疑問を抱いて、転職のような形で方向転換を行うことはあるはずです。芸術に真剣に向き合うような人であれば、それはもっと普通に起こることなのかもしれません。

誰にでも冬が来るのでは?

人が生きていると、「何故なのかはうまく言葉で説明できないが、とにかく自分にはそのような時間が必要だったのだ」ということがときどき起こるように思います。

私の友達で、大学を卒業したあとに何年も正規雇用の職に就くこともなく、さほど珍しくはない種類のさまざまな仕事を転々としていたという人がいます。私が何冊か持っている本を書いた社会学者の方にも、同じような経験があると聞きます。

大きな失恋を経験して、世界が灰色に見えるような日々が何ヶ月も続くことがあります。これは理由が具体的な例ですね。人が何か暗いところに沈み込むとき、そこには理由があるときもあるし、ないときもあります。引きこもりや長期の無職期間といったケースは、直接的には学業や仕事や人間関係の挫折で起こっているように思えますが、同じような挫折を経験した人がみんなそのような状態になるわけではないので、これは中間的な例です。そこには「うまく説明はできないが、とにかく必要だった時間」が存在します。

人生が一直線にうまくいかないというのは、どちらかというと普通のことです。悩み、疑い、ときには沈み込むことのほうが普通です。これを小手先のポジティブ思考でなんとかすることはできなくて、深く沈むときには、深く沈むということそのものが必要とされています。

回復することを信じる

これに対して何か言えることがあるとすれば、それは回復するということを信じる、自分の中にある力を信じるということだと思います。私が最初に出した例は、楽器という趣味の話でしたが、次に引きこもりといった例を出したように、もっと深刻で難しい問題であることもあります。

世の中には自死を選んでしまう人や、最後まで社会的な復帰を果たせなかった人というのが実際に存在するので、「明けない夜はない」と断言することはできません。問題が深刻なものであれば、考え込むよりも専門家の具体的なサポートを求めようといった話にもなると思います。

ここで私が人生について何かを書いているとき、それは私自身が深く沈む込んだという経験に基づいています。そうした人が他にもいると思っているので、何かの役に立てばと思ってこれを書いています。

少なくとも、私自身が経験した冬または夜と呼べる状態については、それはすべて、最終的には明けました。もしあなたが今、同じような状態にいるのなら、それが明けるということを信じてください。

あなたの夜が明けることを祈っています。

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少し離れた話

バイトの時給はなぜ安いのか

飲食店で慌ただしく1時間も働いて、ようやく得られた1,000円という金額も、同じ場所でお酒を飲めば一瞬で消えてしまいます。私自身はこうした場所でのアルバイトの経験はないのですが、これが同じ金額であるという事実を実感するのは、かなり奇妙な感覚なのではないかと想像します。本部で机に向かっている偉い人よりも、現場で忙しく働いている人のほうが取り分が低いというのは、どうしてなのでしょうか。

このような状況が発生する背景には、少なくとも現代の産業において「何をどうするのか考えて、判断して、その結果に対してリスクを引き受ける」ということは、実際にそれを実行することよりも難しく、価値のあることだとされているという事実があります。よく「9割以上の企業は10年以内に倒産する」と言われるように、ほとんどのビジネスは成功しません。採算の合う商売というのは稀です。正社員であれアルバイトであれ、それは「既に成功したビジネスにあとから乗っかっている」という状態なので、分け前が少なくなってしまうのは仕方がないことなんです。

そこで「文句があるなら起業して自分でやってみたら?」という声が飛んできます。これは「誰のおかげで食わせてもらってると思ってるんだ!」みたいに聞こえますね。実際、資本主義の社会は明らかに持つ者と持たざる者に分かれているので、親であるという立場で発言を正当化するのと同じく、これが暴論だというのはある程度まで当たっています。

しかし、もしあなたが突然、顔も知らない遠い親戚の遺産を相続することになって、たとえば2,000万円という金額を手にすることになったらどうでしょう? 2,000万円というのは、一生遊んで暮らすには全然十分でないですが、何か会社を起こしたりお店を始めたりするための開業資金としては、十分な力を持っている金額です。そしてこれは、あなたの人生計画には含まれていなかった予定外の収入なので、最悪失っても痛くないお金であるはずです。これは大きなリスクを負うことなく、人生を変えるチャンスになり得ます。

でも、こういう幸運に恵まれたとしても、ほとんどの人は踏み出すことができないのではないでしょうか。仮にやったとしても、成功する人はほんのわずかという結果になるはずです。ここには「言うことに比べて、やることはずっと難しい」という事実があります。

空からお金が降ってきたり、道端にお金が落ちているということはないので、やっぱり地道に頑張るしかないんですね。社会の仕組みを疑うとか、もっと効率のいい抜け道を探すとか、そういう視点もときには必要ではあります。一方で、文句を言わずに現実は現実として受け入れるという姿勢も必要です。

どっかに5億円落ちてねえかな〜と思いつつ、私も毎日頑張っています。

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システムトレードで利益を出す上で、最も重要なただひとつのこと

実際、シストレって儲かるんですか?

成功しないことが正しい場合がある (2023.12.14)」の記事で、エンジニアである私が自前のシステムを組んで、本気で株式のトレードを行った話をしました。余談としてシステムトレードの現実についても書こうと思ったのですが、まとまった話になるので、この記事として独立させます。

トレード用のシステムは一般向けに市販されたりしているので、今回は「実際、システムトレードって儲かるんですか?」という話をします。

株式投資であれFXであれ、投資の手法としてよく言われることには、実はほとんど根拠がありません。これで数百万円といったお金をリスクにさらすというのは、まともな感覚ではまずやらないことだと思います。しかし、お金が絡んだときの人間の欲というのは怖いもので、根拠のない願望に基づいて大金を失ってしまう人はいつの時代でもたくさんいます。

システムトレードの優位性は「客観的な売買ルールと統計的な根拠に基づいて利益を出す」という点にあります。ある売買ルールによって過去20年といった期間についてバックテストを行い、何千回の取引といったデータを得て、利益が出る傾向があるということを確認する。根拠のない感情に基づいた判断は、一切介在させない。これは一見すると間違っていないように思えますね。

さて、システムトレードのためのツールが市販されているという事実について、ひとつの真っ当な疑問が存在します。自分自身の資金をリスクにさらすという行為が必要だとはいえ、「お金を儲けるための方法が売られている」などということが現実にあり得るのでしょうか?

フォワードテストがすべてだ

投資について専門的な話をするとキリがないので、結論だけ言います。必ずフォワードテストを行ってください。行わないと死にます。つまり、2023年末日までの株式市場のデータによってバックテストが行われた売買ルールを使用するのなら、2024年1月以降の現実の市場で本当に利益が出るのか、一定の期間を確保して必ず確認を行なってください。

トレード用のシステムを販売している業者について、私が感心した点があります。これは批判や皮肉ではなく、良心的な業者であると感じたので実名を挙げると、国内株式のシステムトレードの売買ルールを販売している「トレジスタ」というサイトが存在します。ここではWindows向けのシステムトレードの有料ソフト「イザナミ」で使用できるルールが扱われています。

「トレジスタ」のサイト上では、売買ルールの残した成績が折れ線グラフで確認できます。ルール公開前の成績と公開後の成績は色分けして表示されており、つまりバックテストの結果とフォワードテストの結果が両方とも確認できるようになっています。これはすごく良心的なことです。もし、利益が出ないようなルールが販売されていたとしても、それが客観的に明らかにされているということですから。

さて、情報が公開されている以上、それを選んで利益を出したとしても損失を出したとしても、それはあなたの責任です。仮に年利が何十%という数字なら、ほんの1ヶ月でも早く実際の運用を開始したほうがいいと思いますよね? ちょっと待ってください。フォワードテストは確認しましたか? 確認しないと死にます

すごく強そうな最新の売買ルールは置いておいて、たとえば6ヶ月前に公開された売買ルールを確認してみてください。本当に利益は出ていますか? おそらく、こうした確認を行う人はほとんどいません。トレードの結果は長期で考えないと意味がないとはいえ、6ヶ月間というのはそれなりに意味のある期間です。バックテストから期待されるような利益は出ているでしょうか?

驚くべきことに、ほとんどの売買ルールではまったく利益が出ていないと思います。バックテストでの数千回ものトレードではきちんと利益が出ており、十分に統計的な根拠があると思われるのに、実際の市場で利益が出ないというのは直感に反するように思えます。カーブフィッティングなどは多少あるとしても、利益が出るということ自体は間違いないように考えるのが普通でしょう。コインを500回投げて、表が出た回数が400回ならば、それは何らかの理由で表が出やすいコインなのだと結論づけるのが普通なはずです。しかし、システムトレードにおいてはそうはならないんです。

嘘みたいですよね。でも、本当にそうなっています。トレジスタさんは良心的な業者なので、その事実を誰でも確認できる形で公開しています。ただ、それを誰も確認していないというだけの話なんですね。

トレードなんかに手を出すな

私自身は、アクティブ投資で利益を出せるという可能性を否定してはいません。システムトレードの基本理念も真っ当だと思います。ただ、それで成功するというのは何かビジネスを立ち上げて成功させることと同じなので、あなたがプロ野球選手やミュージシャンとして成功できる確率と同程度に考えたほうがいいです。

本当に夢のない話になりますが、お金が欲しいのならば真面目に働いて、節約生活をして、コツコツとインデックス投資を行ったほうがいいです。このブログでは過去に「投資」カテゴリでインデックス投資のことをいろいろと書いていますので、興味があれば読んでいただけたらと思います。

国際的に分散された株式市場への長期的な投資では、過去の研究により、年利にして7%程度の利益が得られるというデータが出ています。100万円に対して年間で7万円くらいですから、普通の金銭感覚からしたら、これは十分に魅力的な数字だと言えるでしょう。ただ、システムトレードの夢の世界では、年利が80%だとかいう数字が当たり前のように出てくるので、年利1桁というのはいかにも貧弱に思えますね。

この記事がシステムトレードで儲けようとしている人の目に入ったら……どうでしょうね、やっぱり右から左へなんでしょうかね。まあ、それもしょうがないです。

誰かが本当のことを書いておいたほうがいいと思ったので、私が知っていることを書きました。ネットの片隅にこういう記事が存在していることにも意味があると思います。誰かひとりでも、実際に道を踏み外して大切な時間とお金を失う前に、この記事が役に立ったらいいなと思います。

成功しないことが正しい場合がある

私が商売で失敗した話

私は昔から社会性に乏しくて、会社員生活は自分に合っていないと感じていたので、新卒で入った会社を退職したあとに、一時期ずっと家の中で個人的なプロジェクトに取り組んでいたことがあります。私はプログラマとしての腕にはそこそこ自信を持っていたので、個人で何かやってやろうと思い立って、そこで目をつけたのが株式のトレードの自動化でした。

これは業界ではシステムトレードと呼ばれている手法で、普通は専用のツールを使ったりするのですけど、私は一からすベて自前でプログラムを組みました。証券取引が徐々に電子化されてきた時代とはいえ、個人でこうしたことを行うのは相当大変です。プログラムで扱えるように整形されたデータと、人がブラウザで見ることができるデータというのはかけ離れているので、毎日更新される株価のデータベースを個人で持つという時点で、けっこう面倒な話なのです。そしてこれは単なる準備段階です。データが手に入ったら今度はその分析で、統計的に利益が見込めるような売買のルールを探し出すという、これまた難しい仕事が待っています。

結論から言うと、私のプロジェクトは成功しませんでした。利益が出たのかと言われれば出たのですが、「毎日フルタイムの仕事と同様の労力を注いでいる」ということを考えると、会社員と比較して割のいい仕事では全然なかったのです。これは単純に収入が十分ではないというだけではありません。投資をしているということは、自分のお金が失われるリスクを常に取っているということです。大人がひとり生活していくなら、年収にして数百万円は必須になります。そのためにリスクにさらす金額は、数百万円という規模ではもちろん十分でなく、4桁万円はどうしても必要になります。4桁万円のお金が、自分の失敗と市場の気まぐれひとつで失われるかもしれない、というストレスに毎日耐える必要があったのです。

私は家の中でひたすら数字と記号の羅列に向き合っていましたが、実際にはこれはビジネスを立ち上げたということです。ビジネスが成功することは稀です。私のこの取り組みは約2年ほど続きました。最終的に、私はトレードで生計を立てるということを諦め、再び企業の中でエンジニアとして働き始めることになります。

成功してたら幸せだったのか?

警察に捕まるような悪事を除けば、世の中でお金を得られることというのは、何か社会の中で役割を果たしている場合に限られます。役割を果たした対価として売上があって、そこから利益が得られるのが普通です。

投資に関して言えば、投資家が利益を得られるのは、他人のリスクを肩代わりしているという事実によっています。普通の会社員の人は、ビジネスが失敗したからといって自分の財産を取られるようなことはないですよね。ビジネスで使われるお金の原資は投資家が出していて、何かあったときに損をするのは投資家の仕事です。そうであるからこそ、成功したときに利益を得るのも投資家の権利になるんです。トレードの利鞘といった話になると、実態はもう少し複雑になりますが(今度は市場に流動性を与えているというような役割も出てきます)、基本的な考え方は、リスクを負うという仕事をしているのが投資家なのだということです。

自分で汗をかくことのない投資家が社会の役に立っているというのは、ちょっとこじつけっぽい気もしますよね。実際、これは微妙な話です。私が自分自身のプロジェクトに取り組んでいたとき、つまり投資家として仕事をしていたとき、消えることがなかったのが「これは本当に意味のあることなんだろうか?」という疑問です。

人間って大変なことには耐えられるけど、意味のないことには耐えられないんですよね。少なくとも、私にとってこの仕事は、社会に生きる人間として、何か意味が感じられるものではありませんでした。これが何か世界に革新をもたらして、自らの仕事で人々を助けようとしている若者たちのスタートアップ(ベンチャー企業)に投資するといった話だったら、もう少し違った見方はできるかもしれませんが、普通の株式市場に投資するというのは誰にでもできることです。

もし私が自らのプロジェクトにおいて、最初の1年や2年である程度成功していたとしたら、私はそれを続けていたことでしょう。そして、おそらくそのことに何か意味を感じるということは、その先もなかったと思います。

当時の私は、短くない時間と多くの労力を費やした仕事が失敗したということについて、悔しく感じました。しかし、あれからまた年数が経って、今の私が抱いている正直な感想は違うものになっています。今の私が感じるのは、なるほど、私は成功しなくてよかったのかもしれないな、というものなのです。

成功は呪いになる

成功というのは、ある種の呪いとなることがあります。お笑い芸人やミュージシャンには「一発屋」というものが存在していて、たまたま何らかの歯車が噛み合うことによって爆発的にブレイクしたものの、その後のヒットにまったく恵まれなくなる、という現象があります。

あるいは、高校野球で地元では有名な選手だったけれど、プロとして成功するほどの実力には届かないといった人がいます。すごく美人で、周りからはチヤホヤされているけど、アイドルや芸能人になれるほどの突き抜けたタレント性は持っていないといった場合もあります。こうしたとき、成功体験は足枷となり、もっと現実的で自分を幸せにしてくれる可能性が高いような、他の道を選んで生きていくことを阻むことがあります。

恋愛において、きっぱりと断られるというのは案外いいことです。あの人ともっと仲良くなりたいな、自分のことをどう思っているのだろう……といろいろ悩んでいるうちは楽しいですが、脈なしということが明らかになると、もう夢を見る余地はなくなります。それはつらいことかもしれませんが、元々その相手はあなたにとって大切な存在になる人ではなくて、それがあるタイミングで明らかになったというだけのことなんです。いつかわかるのなら、そのタイミングが早いほうがいいです。存在しなかった夢をちゃんと捨てることができれば、次へ進むことができます。

地に足のついた夢を持つ

人間にはいつでも可能性があるので、よく大人が言うような「夢なんか見るな、現実を見ろ」というのは、いかにもつまらない発言です。夢はあったほうがいいし、いつでも未知のものに向かって頑張っていたほうが、生きていて楽しいはずです。

ただ、夢というのはやっぱり生身の自分とちゃんと結びつけて持っているべきものだと思います。小さい子どもの夢と大学生の夢が異なるように、夢というのは世界の認識と今の自分の姿に合わせて変化していくのが普通です。

別に子どもが宇宙飛行士になれないと気づいたからといって、その子の可能性は何も閉ざされていませんよね。大人になって、自分の人生が特別変わったものではないということを知って、面白みのない挫折をいくつか経験したあとでも、やっぱり何か可能性は残っているはずです。

夢を諦めることになったら、それはそれとしてきちんと捨てて、また新しい夢を探すといいと思います。転んでも起き上がって、前向きに頑張るのが大人です。

おまけ:専門的な話

余談として、私の使用した投資手法についての本音の話を書こうと思ったのですが、量が多くなったので別の記事に分けました。興味のある方は「システムトレードで利益を出す上で、最も重要なただひとつのこと (2023.12.14)」をご参照くださいね。

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ニュースから距離を置く

個人的にちょっと不思議に思っていることがあって、それは、どうしてみんな毎日ニュースを見たり聞いたりするんでしょうね? という疑問です。何かがニュースになるというのは、基本的には悪いことが起きたときです。どこかで事故が起こったり、誰かが捕まったり、あるいは亡くなったりした場合ですね。

テレビのニュースとは別に、ネット上には特定の分野に特化した情報を配信しているサイトが数多くあります。最新のガジェットをいち早くレビューしているサイトとか、アイドルやバンドについての新譜情報やインタビュー記事を掲載しているサイトとかですね。自分の興味のある分野について、そういうものをチェックするのは楽しいし、すごく便利です。本当にありがとうございますという感じです。しかし、テレビのニュースといったものはそのような性質ではなくて、決まった周期で決まった時間だけ、うっすらとネガティブな情報を与え続けるという存在ですよね。

私は社会福祉を勉強していた時期もある人間なので、社会を構成する人間はその社会の問題についてある程度関心を持っておくべきだ、とは思っています。でも、毎朝目覚めるたびに真っ先にこういう情報を摂取するのは、ちょっと耐えられないなと感じます。ニュースから絶え間なく送られてくる情報というのは、意識できないレベルで微弱なストレスとなっているような気がするんです。

気分というのは、社会の中で伝染します。周りのみんなが朝からなんとなくうんざりしている、といった社会で暮らしたい人はいないでしょう。しかしメディアには、社会にそういう空気感を作る力があります。デジタルデトックスという言葉がそれなりに知られているように、こうしたメディアの影響力に対しては、何らかの自衛が必要になってきます。

最近ではテレビを持っておらず、新聞も取っていないという人が増えていると思うので(私も両方そうです)、毎日のニュースの摂取という習慣は過去のものになっていくのかもしれません。みんなが知ってる話題というのがだんだん消えていき、今度は人々が「自分の目に入れたい情報しか目に入れない」という状況が出現し、社会の中で偏見や対立が助長されるのではないかといった指摘もあるようです。

社会とうまく付き合いつつ、社会から上手に距離を取る。そういった暮らし方が必要なのではないかという気がします。

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