対話の重要性を痛感した

当たり前っちゃ当たり前のことなんだけど。

何かお互いにとって望ましくない状況が発生したとき、対話ができる人と、できない人がいる。人というか、できる関係とできない関係がある。私はこう思ってる、私はこうしたい。あなたはどう思っているだろう、あなたはどうしたいのだろう。そういうことをちゃんと話し合えるかどうか。そこに落としどころを見つけて、片方だけが無理をする妥協ではなくて、お互いが相手のことを思って、その結論に納得するということができるかどうか。

誰かと親密になるとき、人間的な相性が元々いいっていうのはもちろん重要だ。でも、すべてが100%一致するっていうことはありえない。それは絶対にない。目の前のことに対する具体的な意見も、内面に持っている微妙な価値観や好き嫌いも、日々の生活習慣も。ズレは必ずある。お互いが近づけば、そのズレは表面化する。そこでお互いにそれを議題に上げて、共に理解して、調整を行う必要がある。他人の心は誰にもわからない。それはそう。だから、話さないとどうにもならない。

ズレが必ず存在するという当たり前の事実があって、そこに調整の機能が働かないのなら、その関係が破綻するのは論理的帰結というか、それ以外にないよなって思う。

私はバカだから、そういう当たり前のことをいつも失敗する。本当にいつも失敗するから、本当にバカなんだと思う。

それでいいとは思ってない。ちゃんと直したい。


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