いなくなった友達の話

今、ふと思い出した話。

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東京に楽器友達がいたのね。最初に繋がったのはTwitterだったんだけど、人間性になんとなく親しみを感じて、よくリプのやりとりをしていて、そのうちDMでもっとプライベートな話もするようになった。繋がったのは2020年くらいのことで、東京で音楽関係のイベントがあるときに会場で顔を合わせたりとか、時間があればふたりで会う予定も立てて、代々木公園で一緒に楽器を弾いたりした。

彼女は他人に合わせすぎてしまう、人に気を遣いすぎてしまうという悩みを抱えてる人だった。こういう傾向を持っている人はときどきいると思うけど、私から見ても彼女のこの傾向は強くて、これはかなり生きづらいだろうなって感じた。イベントを楽しんでいるように見えても、心からリラックスして楽しんだことは実は一度もないということを打ち明けられたことがあって、そのときの衝撃は今でも覚えてる。

私は彼女の悩みをいろいろ聞いたし、逆に私の個人的な悩みとかも聞いてもらった。そこまで頻繁に連絡を取るわけではなかったけど、ただのネット上の知り合いじゃなくて、私は友達だと思ってた。

彼女はTwitterやブログをやっていたけど、それもしばらくやっているうちに、そこで発生する人間関係に対して息苦しくなってしまうようだった。ときどきアカウントを変えたり、ブログを閉じたりといったことをよくしていた。そのうち、そういう繰り返しにも疲れてしまったのか、ネット上で発言したり、演奏動画をアップしたりといった活動もやめてしまった。私は携帯の番号を交換していたから、それでもときどき連絡して、お互いに近況報告とかをしていた。

去年の秋、私は久々に彼女にメールをした。返事は来なかった。

そうか。私も彼女にとって、気を遣って、話を合わせる対象のひとりだったのかな。悲しく感じたけど、彼女の行動を責めようという気は起こらなかったし、私が何かまずいことを言ってしまったのかという自責も起こらなかった。彼女は誰に対しても心を許せないということを語っていた。それはしょうがないのだ。しょうがない……しょうがないんだろうか。

どれほど大きな孤独なんだろう。そういう世界で生きていけるだろうか。仮に私がそのような世界に投げ込まれたら、私はそれでも生きていこうと思えるだろうか。

私にはたぶん、できないと思う。

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人に合わせるって、それはいったい誰のために?

それで、何かを得ることはできた?


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