「先生とかに向いてると思う」

上記の言葉は、過去にそれぞれ別の場所で複数の人から言われたことがある。最近、その意味がわかった。

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昔から、学校という場は全然好きでなかったし、教師と呼ばれる人たちを敬うような気持ちもあまりなかった。それでも、高校に入ってからは、私は学校がわりと好きになった。3年間同じ先生が担任で、今になって振り返れば、これは私にとって極めて幸運なめぐり合わせだったと思う。15歳から18歳の高校生なんて、大人から見たらまだまだ子どもだというのに、この先生は子どもを子ども扱いしなかった。型にはまった考え方をせず、自分自身の考えることを教師というより一個人の意見として話して、生徒たちの話もちゃんと聞いて、ひとりひとりの個性を尊重してくれていた。先生の担当科目は情報。私がIT系の職業に進んだのは、個人的に高校入学の前からプログラミングに夢中になっていたということもあるけど、この先生の存在もきっと無関係ではない。

学校の先生は、知識を伝えるためだけにいるのではない。それだったら各自が黙って本を読めば済むことだし、現代だったらどこかの進学塾のカリスマ講師が授業を録画して、その動画をネット授業として見れば十分だろう。私にとって、あの先生はただ授業を担当しているだけの人ではなかった。高校生だった私に、将来どういう大人になりたいのかということを考えさせた。

お手本なしに、立派な何かになることは難しい。楽器を弾くのでも、大工仕事を身につけるのでも、人が生きるということに関しても。

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私にとって、言葉は道具であって、書くという行為自体は目的ではない。それは確かにそれ自体で楽しく、栄養にならなくてもお菓子を食べるのは好きみたいな面もあることはある。でも、それだけじゃないんだ。

何かを伝えたいという想いがある。私がずっと真剣に考え続けてきたこと。私自身の問いかけと、言葉にすることは不可能であっても、見つけたと思っている答えについて。自分にとって嘘ではない何かについて。

教えたいんじゃない。私と同じように考えてほしいんじゃない。自分で考えてほしい。私はそのきっかけになりたい。

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ここ2ヶ月くらいはずっと電子書籍を書いていた。私にとって1冊目の本なので、何かと慣れなくて、まあ大変ではある。

執筆そのものはそろそろ終わりそうだ。テキスト自体を書き上げたとしても、電子書籍で出版できる形式に変換する作業もあるので、残務はもう少しある。noteの有料マガジンにするのはそこまで手間のかかる作業ではなさそうなので、先にそちらで公開したいと思ってる。

私がシロイという名前になって、明確な目標を持たずにブログの更新開始宣言をしてから、4ヶ月ちょっと経った。

なるほど、私は先生になりたかったんだね。なるほどね。そうだった、私は本当はあんなふうになりたかったんだ。偽りのない人に。誰かにとって意味のある人に。迷いながら生きているその人の道を、ほんの少しでも明るく照らすことができるような人間に。


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