おしゃべりは消えてなくなるが、人はそれを楽しむ

かつて、ブログを書くときに意識していたことがありました。「ひとつ記事を読んだら読者にひとつ発見があるような記事を書こう」とか、「目を惹く簡潔なタイトルでサーチエンジンに引っかかるようにしよう」とか、そんなことです。一時期はブログで広告収入ができたらいいなと思っていて、一応頑張ったのですけど、あまり結果は出なかったです。

今の私は、あまり深いことを考えずに記事を書いています。ブログのタイトルを「連想日記」に変更したのも、私が普段の生活で見たり聞いたりしたことに対して思い浮かんだことを、そのまま書きたいなと思ったからです。

現代人は高い目標を掲げ、明確な意見を持ち、鮮やかにそれを主張することがよしとされています。能力を磨くのはいいことで、成功するのはいいことです。しかし、私はそういうところから少し離れていたいのです。友達とおしゃべりすることに、何か目的があるでしょうか? 私はまだSNSやスマートフォンというものがなかった時代、インターネットの海がとても輝いていたことを覚えています。画面と回線の向こうにいる、顔も知らない人たちと文字でやりとりができる! ものを書くことは喜びでした。人の作ったささやかな創作物を見ることは喜びでした。

ネットが現実の社会に影響力を持ち、というか「ネット」と「現実の社会」という線引きがほとんど意味をなさなくなった今、インターネットの海の持つ輝きは、昔と少し違ったものになっているように思えます。私たちは少々、競争と名声が支配する社会に毒されてしまったようです。

私たちが小さな子どもだった頃、友達と一緒に外を走り回っているだけで楽しくてゲラゲラ笑っていたはずです。あるいはもう少し大きくなって学校に通っていた頃、放課後の教室で、帰り道で、本当にどうでもいいような話で笑っていたときのことを覚えていますか? 私が取り戻したいと思うのは、そのような純粋な楽しみの感覚です。ノスタルジーではなくて、実際にそのようなものをまた作ろうとしているわけです。

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