私にとって、今年である2023年はけっこう散々な年でした。春先に健康を害して会社を退職して、もう本当に何もしたくなくて、それは労働みたいな「やるべきこと」についても趣味みたいな「やりたいこと」についてもそうで、すべてが嫌になって、半年くらい鬱々と過ごしていました。
健康上の理由で会社を辞めるというのはもう何回目のことだかわからないくらいで、何も続かない、おれは何をやっても続かない、もうだめだ、いっそ殺してくれ、早く殺せ、という感じでした。とにかく、2023年というのは私にとって、何もかもおしまいという年になるはずだったのです。
風向きが変わったのは9月のことで、私はSNSのアカウントを作り直して、ネット上で名乗る自分の名前を変えて、2年くらい放置していたこのブログのタイトルも変えました。明確な決意や予感があったわけではないです。とにかくそうするべきのような気がして、そうしました。ひとまずブログで毎日必ずひとつの記事を公開するということを決めました。
書き始めてから2〜3週間して、あれ、もしかしたらこれが今の自分が本当にやりたいことなのかな、と気づきました。書きたい。意味不明な人生について書きたい。意味不明な人生で、私が本当に真剣に考えてきたことについて書きたい。今なら書けるような気がする。以前は書けなかったことが書けるような気がする。何か意味のあることが書けるような気がする。
人はできることなら何か真剣に打ち込めることを見つけたいと考えますが、それが本当に本当のことであるというのは稀です。夢中になることはいいことだからこれに夢中になろう、という対象を決めることは不可能です。ふと、私は8年ほど前に楽器の世界にのめり込み始めて、すごくたくさんの知り合いや友人や経験に恵まれたことを思い出します。あれは前もって計画されたものではなく、突然私の目の前に現れたもので、確かに私にとって「本当のこと」でした。
なるほど、人間は10年に1回くらい、「本当のこと」が目の前に現れるのかもしれない。私はこれを見たことがあるので、何をすべきなのかは知っています。見つけたらためらうな、決して放すな、手を放したらそれは消える。だからとことんやれ、ということです。
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