絶望と諦めが賢いと思ってるやつがいるな?
ポジティブ思考というものについて聞かされたとき、「言われて簡単にできるなら苦労しないって!」と思う人は多いと思います。人生が苦しいというのは基本的な事実なので、いつでもポジティブでいるというのは不自然だし、明るいことや楽しいことにだけ価値があるのかというとそんなことはないです。
ただ、暗くて希望がないことが人生の真理かというと、それは違うと思うんですよね。ある種の哲学者や文筆家といった人たちはすごく頭がよくて、人生の暗い面を徹底的に見つめて、それを何か崇高な(ように見える)理論体系や文学的表現にまとめます。でも、彼らは哲学や文学は現実との接点を持っていないので、同じように何か崇高な(ように見える)哲学的信念に逃げ込みたい人を除けば、あまり他の人の役には立ちません。
何かを差し出されたときに「そんなのつまらない」とか「意味ないじゃん」っていうのは、子どもでも言えることです。人生に何か暗いものがあって、困難なものがあって、それに打ち負けて、目を背けて、自分の中に閉じこもる。それって人間の敗北じゃない? と私は思うんですよね。
負けない意志を持つ
少しでも想像力のある人なら、引きこもりの人を見て「働かなくていいし寝放題で遊び放題で羨ましいな」なんて思わないでしょう。彼らだって社会の中で頑張れるものなら頑張りたいし、人の役に立って感謝されるような自分でありたいと思っているはずです。いや、自分は断固として人付き合いをしたくないんだ! というタイプの人もいるかもしれませんが、それでも引きこもっている自分が「理想の自分」なのだと思っているようなことはまずないと思います。
人生を楽しんでいる人を見て「単純なやつらだ!」と思うのは、まずい考え方です。現実には人間は生まれも育ちも不公平にできていますから、環境に恵まれている人というのは確かにいます。ただ、人には人の悩みがあるはずなので、まったく能天気に生きている人というのはあまりいないはずです。
いつも前向きで明るく振る舞っている人は、おそらくそうするように努力しています。これはかなり難しいことだし、尊いことだと思います。人間がいつでも前向きで明るいはずがないからです。そこには、自分の中に何か暗いものがあることを理解して、それを認めた上で、それに負けてやらないぞという決心があります。
前向きに生きられないと自分がつらくなります。前向きで明るいというのは、人として軽薄なことではなく、むしろ真剣なものです。それは感情というよりは、意志的な行為です。暗い気持ちに囚われたときは、そこに重要性を見出さないでください。それは乗り越えられるべきものなのです。
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