ラッセル、私のヒーロー

行動する哲学者

その本に出会ったのがいつのことだったのか、正確には覚えていません。ただ、学生時代であった18歳か19歳の頃、既にカバンの中にその本を入れていた記憶があります。イギリスの哲学者、バートランド・ラッセルが1930年に書いた「幸福論」という本でした。(岩波文庫、安藤貞雄訳)

ラッセルの本に出会ったときの衝撃は、今でも忘れられません。私と同じ言葉を喋る人間がいる、私に理解できる言葉を喋る人間がいる! 10代の多感な時期、映画や小説、漫画の登場人物などに自分を重ね合わせることはよくあることでしょう。特に、人付き合いが下手で周囲の人間に馴染めない、私のような人間にとってはそうです。私にとってのそれは、創作上の人物ではなく、歴史上に実在した人物だったのです。ラッセルは紛れもなく、私にとってのヒーローでした。

ラッセルは20世紀を代表する知性の人でした。ラッセルの初期の業績は、数学者・論理学者としての仕事です。ホワイトヘッドとの共著である「プリンキピア・マテマティカ(Principia Mathematica: 数学原理)」は、数学の基礎を論理学から導くという試みでした。「1+1=2」を導くのに379ページかかったという、おおよそ常人には考えられないような仕事です(一体どういう意味があるのか、などと私に訊かないでください)。哲学者としてはウィトゲンシュタインを見出したことでも知られており、おそらく一般的にはウィトゲンシュタインの名前のほうが有名でしょう。

ラッセルはまた、アカデミックで抽象的な思索の世界のみに生きた人ではありませんでした。第一次世界大戦の頃には、反戦活動により投獄されています。科学、教育、政治、その他の幅広い社会問題を論じるために、一般向けの著作も数多く残しました。「結婚論」といった著作の功績により、ノーベル文学賞も受賞しています。「ノーベル文学賞を受賞した数学者」というのは、ラッセルの極めて広い関心の領域を端的に表していると言えるでしょう。第二次世界大戦ののちには、「ラッセル=アインシュタイン宣言」で核兵器廃絶を訴えています。

ラッセルは昔風の意味での哲学者、本当の意味での哲学者だったと思います。つまり、それは言葉と概念をこねくり回す単なる「哲学の教授」ではなく、人間の心理について深い洞察を持ち、人類の持つ知性の領域を押し広げた、知性と行動の人だったのです。

100年読まれる本

ラッセルを知るには、たぶん「幸福論」がもっとも手近な本でしょう。これは「哲学者の書いた本」というイメージに反して、極めて実践的で役に立つ本です。この本で論じられているのは、「われわれのようなふつうの人間が日々感じる不幸せに対して、われわれのようなふつうの人間はどのように対処できるか」ということです。

人が本を書くとき、世の中で既に知られている当たり前のことを書くようなことはしません。その時代のその社会において、広く信じられているが実は誤っていることや、多くの人はまだ知らないことなどを書こうとするはずです。「幸福論」は、1930年当時の西欧社会で暮らす「現代人」に対して書かれた本です。90年以上が経過したいま、ここに書かれた内容は古くなっているでしょうか? 既にあまり役に立たないものでしょうか?

驚くべきことに、まったく古くなっておらず、現代の人々にとっても完全に役に立つのです。基本的には不変のものである数学や物理学を論じた本ではなく、社会というものの中で働き、生活する生身の人間の幸福と不幸について論じた本であるにも関わらずです。1930年の社会と現代の社会がどれほど違っているかを考えると、人間というのはそれだけ社会が変化しても、心理的に同じような罠にはまりやすいのは変わっていないということでしょう。

幸福というのは人類にとって普遍的なテーマで、日本人は妙に「3大○○」という言い方が好きなので、この本はアランやヒルティの幸福論と並んで「3大幸福論」などと呼ばれたりします。読み比べてみても面白いかもしれませんが、私に言わせれば、ラッセルの本がダントツで面白いです。

歴史は流れ、忘れ去られていくので、ラッセルの名前は今では昔ほど知られていません。それは仕方がないことです。それでも、この本は読み継がれていくでしょう。書店で、なんかあの辺は古くさい本が並んでるな、と思われている岩波文庫のコーナーで。そういう本です。