静かに過ごす

私は相当の音楽好きなので、ひとりでいるときはだいたい音楽を聴いています。何か作業や家事をしながら聴いていることもあるし、寝転がってゆっくり音楽に集中することもあります。ただ最近のことなのですが、何かを再生し始めたときに「おや、今は気分じゃないみたいだな」と感じて、再生をストップすることがたびたびあるようになりました。昔はとにかく何かを聴いていないと落ち着かなかったのですが。

現代人の活動というのは物理的な身体よりも精神のほうに偏りすぎていて、とにかく疲れるものです。もし誰かが片時もお酒を手放せないとしたら、それは明らかに病気であって、精神のバランスを崩しているものと思うでしょう。しかし、いわゆる普通の人間の生活も似たようなものなのです。スマホで常に誰かと繋がっていなければ不安だとか、何かに取り憑かれたように仕事に打ち込んでいたりといったことです。それは常に何かで心を満たしていないと不安だということです。それが本当は好きでもない人との人間関係だろうと、内心うんざりしている仕事だろうと、無いよりはマシ、というわけです。

大抵の人は、何もしないでいるとか何も考えないでいるといったことが苦手なようです。それでいつも何らかの刺激を必要としています。人間の心身は本来、休息を必要とするはずです。なぜ休むということができないのでしょうか? 仮に現代で休むということが推奨されるとしても、それはライフハックだとか生産性向上だとか、そういったレベルの話なのです。それが生産的で目的に適うから休む。こういう生活はまったく非人間的というか、心というものから大切な何かが欠けてしまっているように思えます。

これがライフハックに関する記事なら、クリエイティビティだとか自分らしさを取り戻すだとか、そういった主張に繋げることができますが、私が言いたいのはそういう表面的なことではないんです。静かに過ごすということは、自分の内面と向き合うということで、それは必然的に自分自身の空虚さと向き合うということです。人がノイズで心を満たすのは、虚しいからです。自分自身に向き合うということに耐えられないからです。

というわけで、結論はこうです。虚しさに向き合ってみましょう。スマホの電源を切って、何時間かして「これは耐えられない」という生々しい感覚が起こったなら、たぶんそれを突き詰めることには意味があります。

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