楽しいっていうのは大変だってことだ

「楽しくて仕方がない」という幻想

こうしてブログのような場所に文章をたくさん書いていると、好きなことがあっていいですねとか、自分もそういう夢中になれるような楽しくて仕方がないことを見つけたいですとか、そんなふうに思われるかもしれません。

まあ、文章を書くのが楽しいというのは嘘ではないんですが、実際のところものを書くっていうのはすごく大変だし、疲れるし、満足するほど上手に書けることはめったにないし、人ってあんまり長い文章を読んでくれないから、期待するような反応も特にありません。キラキラした楽しみかというと、そういうことは全然ないです。

「楽しくて楽しくて夢中になれることがどこかにあるはずだ」っていうのは、ある種の幻想だと思うんですよね。たとえば、すごくおいしいものを食べるというのは、お金がかかるということを除けば、純粋な快感です。それはそれでいいことだし、気分よく暮らすにはときどき必要なことではあるんですけど、充実感というのとは少し違います。それは食べるということが消費だからです。

何かをつくる、何かをする

生きるということの充実感を見つけるには、消費とは反対の行動、つまり生産が必要になります。文章を書く、絵を描くといったことは生産です。ネットで動画配信者になることも、生産を続けるということです。実りある人間関係を得るというのも、すごく根気と労力のかかることですから、無形ではありますが「つくる」という行為に入ると思います。

このとき、「つくる」という行為の結果にはもちろん意味があって、作家は自分の書いた本を大切に思うし、イラストレーターは自分の描いた絵を眺めて「自分もなかなか悪くないぞ」と思うことでしょう。しかし、その人が本当に充実感を得ているのは、それをつくったプロセスのほうにあります。

食べるということは一瞬ですが、料理を作るのには手間がかかります。それは食材の調達、調理、盛り付けといった意味でもそうですし、そもそも調理技術を身につけるためには何年もかかるといった意味でもそうです。「つくる」ということが簡単であるはずがありません。それは楽しいことかもしれませんが、「ラク」ではあり得ないんです。

人が登山をするのは、山に登るというその行為のためであって、山頂に行くことが目的ではありません。山頂が目的ならば、ヘリコプターでそこまで行って降りればいいわけです。実際にそんなことをしても何にもならないのは誰にでもわかると思うのですが、これが人生のことになると、山を登る苦労はしたくないけど山登りの楽しみは手に入れたいだとか、ヘリコプターでもいいからとにかく山頂まで辿り着けば何か満足感が手に入るはずだとか、そんな間違ったことを人は考えてしまいがちです。

山登りの例では、つくっているのは経験で、これは「つくる」という行為をもう少し一般化した「する」という言葉で表すこともできます。人にとって何か意味があることというのは、人が何かをするという過程の中にあって、それはほとんど必ず大変なことなのです。というか、すごく簡単なことに意味を感じるようには、人間はできていません。綺麗に舗装された、街中にあるほんの短い坂道を上がっただけで満足感を感じろというのは無理な話で、それはやはりある程度険しい山である必要があるわけです。

想像をやめて外に出よう

趣味でも仕事でも、何かやりがいのあることや楽しいことを見つけたいと思うことは自然ですし、それはたぶん探す価値のあるものです。これはすごく個別性の高い問題なので、誰かにとって楽しいことが自分にとって同じように楽しいということは基本的にありません。

「いろいろやってみて経験したほうがいいよ」というのはありきたりなアドバイスですが、実際これは正しくて、そうする以外に見つける方法はないように思います。このお店のカレーはすごくおいしいな、ということは、そのお店のカレーを実際に食べた人にしかわかりませんし、他にあまりおいしくないカレーやあまり好きじゃない料理を食べた経験がなければ比較できません。これはネットでグルメ情報のサイトを見ているだけでは何も意味がなくて、実際に時間をかけて自分の足で食べ歩く必要があります。

人が本当に意味を感じることとは、どのようなものでしょうか? たとえば私が今わざわざこういうことを喋っているのは、そうすることに何か意味があると思っているからです。私は文章を書く理由には、自分自身や世界の仕組みというものを追求したいから、言葉や考えるという行為が好きだから、ほんの少しでも他人の役に立ったり、他人が自分のことを理解してくれたと思いたいから、といったことが挙げられます。大変であるという事実を、これらの理由の重さが上回っているから、私はこのようなことをやっているわけです。

私はネット上で文章を書くようになって、もうかなりの年数になりますが、「これこそが自分の本当にやりたいことなんだ!」という確信は今でもありません。たぶん、「自分に100%ピッタリの何かがどこかにあるはずだ」という仮定そのものが間違いなのでしょう。

これを読んだあなたが、自分はまだ「何か」を見つけていない、と感じているなら、とにかく外に出て、いろいろやってみてください。外というのは物理的に屋外に行くという意味ではなくて、ネットに向かったり机に向かって何かをすることでもいいです。あなたが既に知っている領域の外側に出る、ということです。「見つけられたらいいな」と単に想像するのではなく、実際に行動してみてください。

安直な答えはないので、安直な答えはないよ、ということを書きました。健闘を祈ります。

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