頑張ったときのアルバムを作っておこうぜ

よかったこともどんどん忘れる

人生って、虚しさや徒労感との闘いだと思います。おれの人生なんて何の意味もないよな……という暗い気持ちに沈むこともありますし、も〜嫌になったから全部投げ出したーい! ってジタバタするのもよくあることです。

人って自分が頑張ったこととか、楽しかったこととか、褒めてもらったこととか、そういうのって放っておくとけっこう忘れていきます。なので、頑張ったときや楽しかったときのアルバムを作っておこうぜ、というのを提唱したいと思います。

私は特にカメラを趣味にしているわけではないので、日常で写真を撮るのに使用しているのは、もっぱらiPhoneです。iOSの標準の写真アプリには、好きな写真にハートマークをつける機能があります。ハートをつけた写真は「お気に入り」というアルバムで簡単に見返すことができるようになっています。

私は楽器を弾く人なので、音楽関係のイベントのときの写真を見ると、たまにしかないお祭りの空気感を楽しく思い出せます。楽器関係以外のお出かけについてもそうです。珍しく県外に遠出したときの記録もあれば、近所をお散歩しているときに撮ったお花のように、なんてことのない景色もあります。外食で特においしかった料理の写真もあれば、いっとき妙にハマっていたお菓子の写真も出てきます。

また、我が家には白文鳥のふみ子がいます(「モチモチ怪獣ふみ子の話 (2023.10.6)」を参照)。バイオレンス文鳥のふみ子はときどき容赦なくカミカミしてきたり、こちらの体調がよくないときにうるさく騒いでしまうこともあるので、そういうときはちょっと憎たらしく感じることもあります。これは「身近すぎて大切なものが見えなくなる」という、よくある一例です。そうした場合にはちょっと深呼吸して、ヒナ時代から立派に成長した現在に至るまでに撮り溜めた写真を見返すと、ちびっこ怪獣であるところのふみ子が、実はラブリーで尊い存在であるということを改めて認識することができます。

頑張った証拠を残す

ここまでに述べたのは、楽しかった記憶を写真で残すということです。もうひとつは頑張ったことに関してで、私の場合は写真以外の手段を取っています。

私がこの場所で書いているブログには、「おすすめの記事の一覧」というページが作ってあります。このページの目的は、第一には読者に最初に読んでもらうためのベストアルバム的なものを用意しておこうという意図ですが、実は自分の記事を自分で読み返すためにも使用しています。

長期的に何かに取り組んでいるときに、自分の能力や素質を疑ったり、輝いて見えた目標がふと色褪せて見えたりすることはよくあります。今の私は一定の野望を持って文章を書くということに取り組んではいますが、これを書いている2023年12月現在では、書くという行為は私に対して1円の利益も産んでいません。

現代は短文のSNSと動画コンテンツの時代で、その動画ですら、ほんの数秒や十数秒のショート動画しか見てもらえないような有様です。どうせみんな長い文章なんて読んでくれないんでしょ……という気持ちは常にあります。だいたい、私自身もSNSでブログ記事のリンクが流れてきてもあまり開かないので、何も文句は言えないのですが……。

こういった無力感に襲われたときには、自分が大切に思っていることをどうにかうまく表現できたな、という過去の記事を読み返します。そうすると、自分には世間に対して言いたいことがあって、多少なりともそれを形にして表現することができるんだ、そうすることにはきっと何か意味があるはずだ、という気持ちを思い出すことができるんです。

あなたが何か創作活動に打ち込んでいるのなら、自分が「うまくやれた」と感じられる作品を一箇所にまとめておくといいです。時系列で並べるようにすると、努力の結果、つまり自分が成長しているという事実が一目でわかるので、これは初心を思い出してモチベーションを取り戻す上で有効に働くはずです。

創作ではなくて何かの勉強などの場合でも、単純にノートを残しておくというだけで、自分がこれだけ努力したという証拠を目に見える形で持っておくことができます。

再び前を向く

いつでも明るく前向きに頑張るというのは、人間にとっては不可能な要求です。勉強でも仕事でも、ふと嫌になることはよくありますし、人間関係に疲れてしまうということもあります。そういうときに、ちょっと我に返るための方法を用意しておくといいと思います。

人生は山ほどの辛いことと大変なことで構成されていますが、もちろんそれが人生の全部ではなくて、楽しいことや意味のあることは過去にも無数に存在したし、これからも存在するはずです。気分が落ちたときというのは、それが見えなくなっているだけです。

社会人としてある程度の年齢を重ねると、10代の子たちが持つ輝きを羨ましく感じるようなこともあります。しかし、宝物のような記憶を内側に抱えて生きるというのは、年齢を重ねた者の特権でもあります。

このような「アルバム」の存在は、あくまで前を向くためのものです。単に過ぎ去ったことを美化して、昔を懐かしむということではないです。そういうことは、身体が完全に動かなくなって、もうベッドでお迎えを待つだけだというときが来るまでしないでください。まだ早すぎます。

自分の中にある大切なものを思い出して、元気が出たなら、もう一度頑張れます。そうしてアルバムをどんどん充実させていくといいと思います。辞書みたいに分厚くて重たいアルバムを作りましょう。

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