たこ焼きの中心に存在する、タコ以外の何か

自分には友達なんてひとりもいない、と思っていました。

ひとつの季節が終わった(かもしれない)話」で書いたように、私が生きているということの意味を多少なりとも感じられるようになったのは、コンサーティーナという楽器を始めてからです。正確には、楽器を始めることで、アイルランド音楽のコミュニティというものに入ることができてからですね。私がそこで出会い、人間的にすごく影響を受けた人に、K氏という人がいます。

K氏は私より10コ以上も年上で、フィドル(バイオリン)を弾く人です。K氏は私が出会った中でもかなり特殊と言える人間でした。彼女は他人のことを悪く言うということがありません。何かを否定するということが基本的にありません。お酒が好きで、大抵の人間とはすぐに打ち解けられて、昨夜飲みながら喋ったことなんて翌日には何も覚えていない、といった人です。

幸運なことに、当時のK氏の家は私の家から徒歩圏内でした。いっとき、私はK氏の家に入り浸っていたことがあります。学生でもないのにそんなことを、と思いますが、コタツの中でかなりの時間が溶けました。コタツ兼用のそのテーブルの上でやったのは、冬場であれば鍋で、それ以外の季節はたこ焼きでした。K氏の家には鍋用のカセットコンロと、同じガスボンベを使うたこ焼き器があったのです。

たこ焼きは本当によくやった記憶があります。だいたいタコを買ってきて調理するなどという面倒なことを私は絶対やらないのですが、K氏は料理に手間をかけるということが特に気にならないようで、粉類などのたこ焼きの材料はほとんどいつも常備していました。タコや明太子など、中に入れる生鮮品だけ買ってくればすぐにできたのです。

たこ焼きをひっくり返しながら、私たちは音楽の話とか、共通の友人の話、仕事の話などをしました。それがあまりに日常的なことだったので、そうした場面で具体的に何をどう話したかということはほとんど覚えていません。私のスマホにはこの頃の写真が多く残っていて、無数のたこ焼きの様子や、それを食べて笑っているK氏の笑顔を今でも見返すことができます。私自身がどのような顔で笑っていたのかは、写真には残っていません。

K氏は私にとって初めての、本当に心から安心できる人、本当に心から信頼できる人でした。このような人はまったく他にいませんでした。私はK氏のようになりたいと思ったし、今でも同じように思っています。考えてみれば、今の私の人格の少なくとも半分くらいは、K氏によって作られたようなものです。それまでの私にとって、人間の理想というのは本の中にあったり、頭の中で理屈として考えられたものでしかなく、目の前に存在するということがなかったのです。なるほど、私はK氏に出会うことでようやく「人間になった」のだな、と今になって思います。

K氏は3年ほど前に引っ越してしまい、あの日のたこ焼きは過去のものになりました。引っ越し先は市内なので、頻度こそ減ったとはいえ、今でも普通に会うことはできます。ただ、人間は変わっていくし、街並みも変わっていくし、何も同じ姿のままであることはなくて、そのことに少し寂しさを感じるときもあります。

今の私にあるたこ焼きとの接点といえば、スーパーのお惣菜コーナーでときどきそれを買ってくるということだけです。家に帰って、それをおやつにして食べているとき、私は昔のことを思い出すのです。

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