「ブレない」ってそんなにいいことなの?
政治の世界ではよくありきたりな言葉が飛び交いますが、まああれはイメージありきなので、別にそんなに深く考えられてはいません。よく耳にする「ブレない」という言葉を考えてみましょう。
ブレるということがよくないのは、目の前にいる人との力関係で言うことを変えていたりとか、そもそも具体的なことを深く考えていないからその場しのぎでいい加減なことを言ってるとか、そういう場合です。
そうしたことを除けば、実は「考え方を変える」とか「立場を変える」ということ自体は、別に悪いことではありません。むしろ、積極的に行っていくべきものというか、そうでなければ何かがおかしいといった種類のものでもあります。
なぜ変わることが自然なのでしょうか。次の3つの要因が考えられると思います。
- 世の中の状況が変わる
- 新しい情報が手に入る
- 人は成長する
順に考えてみましょう。
世の中の状況が変わる
当然のことですが、世界の状況は変わり続けています。ひとつの例は、現代では技術の進歩がめちゃくちゃ高度かつハイスピードになっているということでしょう。
漫画家やイラストレーターの人にとって「デジタルで描く」というのはかなり一般的になっています。紙とペンではなく、パソコンとペンタブレットを使って描くわけですね。昔はデジタルというと解像度も荒かったでしょうし、高度なことをやろうと思えばパソコンの処理は遅いでしょうし、そもそも高度なことなんてできなかったかもしれません。機材を揃えるためにはお金もかかるし、高価な機材を買ったところで使い心地はそこまでよくなかったでしょう。
そうした時点で「やっぱデジタルはイマイチだな、アナログがいいな」と判断したなら、それは合理的な判断だったかもしれません。しかし、放っておいても勝手に発展していくのが資本主義の社会なので、機材はどんどん進化して、安価になってきています。5年前や10年前と今とでは、状況はかなり異なることでしょう。状況が異なれば判断が変わるのは当然のことです。
アナログの紙とペンにしか存在しない微妙な感覚というのは確かにあるでしょうから、デジタルが万能で完璧というわけにはもちろんいきません。新しい技術には習得コストだって当然かかります。だからといって、変化し続けるデジタルの世界に目を向けることなく、アナログを使うことを「こだわり」だとか「美学」といった耳に心地いい言葉で絶対視するなら、そこで学ぶということを止めてしまっている可能性があるわけです。
新しい情報が手に入る
人付き合いにおいて、相手のことを完全に理解できるということはあり得ません。夫婦だって親友だって、基本的には人間というのは外からは「わからない」存在です。相手を理解しよう、寄り添おうという気持ちは人間的でとても尊いものですが、この「わからない」という前提は、健全な人間関係にはどうしても必要なものになります。
最初に「この人とは仲良くなれるかな」というフィーリングがあります。そして実際に仲良くなっていく過程と、相手を知っていく過程というのは同時進行です。人間関係というのはけっこう信じられないことが起こるもので、人当たりがいいと思っていた人間が実は身内には平気で暴力を振るう人間だった、という話をときどき聞いたりしますね。平気で人を殴るとか、ゴリラでもやらないと思うんですが、とにかくそういう人は現実にいます。
付き合ってみたら最高にサイテーな人間だった、というのは付き合う前にはわかりません。知らなかった状態で下した判断と、知っている状態で下す判断は違います。人間にはサンクコストと呼ばれる心理があるので、「すごく労力を注いだのだから今更無駄にしたくない」という気持ちで逆にその関係に執着してしまい、泥沼になることがあります。それを聞いた完全に正気な友達とかが「いや、別れなよ」と言うわけですが、合理的に考えればそのように考え方を変化させるのは正しいわけです。
人は成長する
人間は成長するのが普通なので、考え方は広くなっていくし、柔軟になっていくのが普通です。理解力は深まり、さまざまな能力が伸びていきます。経験によって価値観は変わります。
先ほどの「新しい情報が手に入る」とも少し関連していますが、小さな男の子が将来の夢を「スポーツ選手」や「YouTuber」と言ったりするのは、それ以外の職業をあまり知らないからです。大学生にもなればもう少し世の中に対する理解度が上がり、夢は変化します。小学生の夢と大学生の夢が同じであるはずがありません。しかし、就職活動で多くの学生が死ぬほど悩んでいることを見てもわかるとおり、ここでも20年やそこらで培った知識や経験というのは明らかに不十分です。
ではそれなりに経験を積んで社会を見てきた40歳くらいのおじさんはどうか、というと、これまた全然大したことはないのです。人はひとつの人生しか生きられないので、自分の半径5メートルくらいで起きてきたこと以外は驚くほど何も知りません。世間で偉いおじさんということになっている偉いおじさんも、人間的に偉いというわけでは全然なくて、5歳でも20歳でも40歳でも、そこには成長過程の人間がいるだけなのです。
20歳の大学生が10歳の子どものように考えているとしたら、それは明らかに不自然なことでしょう。そしてこれは、あなたが何歳になったとしても言えることなのです。5年後のあなたが今と同じように考えているとしたら、その5年間、あなたはいったい何をやってきたというのでしょうか?
あなたの中にあるもの
変わるということはそれなりにエネルギーの要ることです。行動を変えたり、環境を変えたりするのは大変なことです。変化を求めない周囲の人間との摩擦が起こったりすることもあります。人は基本的にめんどくさがりなので、あまり変わることを求めません。
が、それでもやっぱり変わるべきなのです。変わらなければ私たちは死んだ人間と同じです。
植物の成長をじっくり見たことがあるでしょうか。指先に乗るような小さな種子が、芽を出して根を張り枝を伸ばし、長い年月をかけて巨大で美しい樹木になるというのは、まったく驚くべきことです。最終的に、あなたという存在はデカい木になります。その美しさを、周りの人間もあなた自身も、今はまだ誰も知りません。
変わり続けましょう。デカい木になって、あなたの可能性を見せてください。
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