変われるってことをもっと信じてもいいんじゃないか

みなさんはおそらく、SNSのアカウントをいくつか持っていますよね。Twitterのサービス開始は2006年だそうで、仮にあなたがTwitterがもっと一般的になった2014年頃から使い始めていたとしても、既に10年分の日常の記録が存在していることになります。

日記を毎日きちんと書けるという人は少ないですが、何もしなくても勝手に記録が残っていくというのがSNSのいいところです。ちょっと試してみて欲しいのですが、3年前や5年前、10年前あたりの自分の投稿を見返してみてください。X (Twitter)であれば、パソコンで開いた設定画面から「データのアーカイブのダウンロード」というのができますし、Twilogなどの外部サービスも使いやすいです。

昔の自分の発言を見ると、懐かしいというよりは恥ずかしいという感じが先行すると思います。これは「録音した自分の声を聞くと恥ずかしい」みたいな面もあると思いますが、もっと重要な理由があって、それは年数が経つと、自分の発言の未熟な点がよく見えるからということです。特定の立場の人への配慮をせずに偉そうなことを言っていたりだとか、社会や人間について単純化や類型化をしすぎて粗い議論をしているとか、自覚していなかったけど単に流行りの概念と世間の風潮に流されているだけだとか、いろいろあると思います。

未熟であることがわかるということは、それだけあなたが成長しているということを意味します。それは人格や価値観についてもそうですし、人付き合いのエピソードであれば人間関係のスキルが見えますし、ネット上に発表した創作物を見返したのなら、創作分野での具体的な能力についてのことになります。こうしたものはすべて、年齢を重ねるにつれて成長していくはずのものです。

受験の最中や転職を目指していたときであれば、意識的な努力というのはしているでしょう。しかし「他人のことを正確に理解し、自分と違っている部分も受容する」のようなことは、普段から鍛えようと思って鍛えている人はあまりいないと思います。それでも、周りの人間を見る目の解像度だとか、自分と異なる立場を取る人への許容の度合いというのは、5年前や10年前の自分と比べれば、常に性能が上がっていることに気づくのが普通のはずです。人は何も考えずに呑気に生活しているわけではなくて、日々悩みながらいろいろなことをやっていますから、人間性のさまざまな面は放っておいても勝手に伸びるんです。

変われるということは希望だと思います。変われるというのは、成長できるということだからです。そして今見たように、人が意識しなくても勝手に変わっていくということは、もしあなたが意識的に変わろうと決めたのなら、そのときにはもっと大きく変われるはずだということです。

人が変わっていくということには、ときに親しかった友達と疎遠になっていくみたいなこともあるので、完全にいいことばかりではないです。年齢だって、永遠に若くて元気なままでいられるならそのほうがいいでしょう。とは言っても、生き物が歳を取らないということは無理なので、暗い面よりも前向きな面に目を向けたほうがいいです。これはこじつけでポジティブ思考をするということではありません。事実として、子どもよりも大人のほうがずっとできることが多いし、大人になれば自分の足でどこへでも行けるようになります。だから、成長したあとのほうが楽しいという証拠は山ほどあるんです。

変われるということをもっと信じていい気がします。人生に行き詰まって悩んでいる人も、これで終わりだなんて思わないでください。本気で悩んだのなら、それで成長しないはずがないです。人生には停滞も行き詰まりも発生しますが、生きていればいつかそこを抜けます。

SNSの昔の投稿を見返したなら、この過去の自分は、今現在の自分のことをこの時点では何も知らなかったのだということを思い出してください。今のあなたは、暗く長いトンネルを抜け出している未来の自分のことを、単にまだ知らないというだけなのかもしれないのです。

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