変化が必要なときほど変化が困難になる

なぜ永遠にお部屋が片付かないのか

世の中には天邪鬼な法則がけっこうあります。「変化が必要なときほど変化が困難になる」というのもそのひとつです。

私たちにとって身近なものである、お部屋の散らかりについて考えてみましょう。理屈で言えば、人が掃除や片付けを行うのは、「汚れたり散らかったりしていることの不快感」が「掃除や片付けを行うことのめんどくささ」が上回ったときです。散らかりについての感じ方は人それぞれで、綺麗好きの人はおそらくこの不快感のしきい値が低く、早い段階で「気持ち悪いからとっととやっちゃおう」という感覚が起こるのでしょう。

困ったことに、人は疲れるといろんな感覚が鈍感になります。疲れ切っているときには、部屋の散らかりなんてどうでもよくなります。そういうときにこそ、片付けてスッキリさせたほうが精神衛生によいはずなのに、疲れれば疲れるほど片付けるということは困難になります。それは単純に片付けるためのエネルギーが不足しているという面もありますが、冷静に考えれば片付けを行うことに難しい仕事を行うことほど集中力が必要とも思えませんから、やはり不快感を「感じにくくなっている」という点が大きいのでしょう。

働くことが限界になるとき

お部屋の綺麗さというのは、快適に暮らす上では大切なことですが、もっと重要なことがあります。たとえば働くということについてです。

世の中にある会社がみんないい会社というわけにはいかないので、過酷な労働環境というのはそれなりに存在します。それでやりがいがあって報酬が高いというのならば、割り切って取り組める人もいますが、そうでない環境も多いでしょう。そうした環境では、人によっては自分の限界を超えて心身に不調をきたすこともあって、転職によって今の環境を抜け出したほうが賢明な場合もあります。

ここで問題になるのは、疲れ切って追い込まれている人には、その状況を冷静に理解することも、それを変えるための行動を起こすこともすごく困難になるということです。真面目な人ほど「もう少しやれるはずだ、もう少し頑張ってみよう」と考えてしまうのですが、限界というのは意外と簡単に来ます。限界というのは、実際にぶっ倒れてしまったという状態を指すこともありますが、その前にひとつのラインがあって、それは「現状を変えるためのエネルギーが残されている」というラインを突破してしまうことです。

知っておき、備えておく

仕事で限界を超えてしまうということに対しては、あなたのことを普段からよく見てくれて、客観的な視点でアドバイスをくれるような友人や家族との関係を築いておく、といった対策が考えられます。自分の視野が狭くなっているということに気づくのが肝心になるので、気持ちを切り替えられる趣味や運動の習慣、休息の習慣をつけておくといったことも大切です。

ただ、大抵のことは口で言うほど簡単ではないものです。これを書いている私自身も、仕事で健康を害したことが何度かあります。そうした経験について、「あのときこのように考えていたら、限界をうまく回避できていただろうか」と考えてみても、そのような自信は正直言ってあまりありません。

防御策があるとすれば、それは「知っておき、備えておく」ということです。無理が来ると自分が動けなくなるということを知っておく。「まだいけるかな」と思ったときに、本当にそうだろうかと警戒する。早めに周囲に相談してみる。相談というほどのことでなくても、雑談の話題に出して、相手の話を聞いてみる。こういうことをしておくと、危険なラインを超えてしまう前に「自分は今ラインを超えそうなのだ」と気づける可能性があります。

部屋が散らかり始めただなんていうことは、別になんでもない話ですよね。でも、それは本当に限界が来ている兆候の場合があります。限界というラインを実際に超えてしまうと、リカバリーはかなり大変な過程になります。早め早めに対処して、自分のことを大切にして生きていけるといいですね。

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