熱くはないが、とても強い気持ちについて

勝ちたいと望んだから勝ったのか?

スポーツなどの勝負事において、「気持ちで勝つ」ということができるのは、基本的にはフィクションの世界の出来事です。こちらがすごく強い気持ちを持っていたとして、では相手は強い気持ちを持っていないのでしょうか? それはもちろん違います。同じようなレベルでぶつかる人なら、やはり同じくらい強い気持ちを持っている人のはずです。

将棋の世界でプロ棋士になるような人は、ほとんど全員が「自分ほど将棋の好きな人間はいない」と思っているかもしれません。棋士を志すような人は、地元では小さい頃から負け知らずで、天才と呼ばれてきたような人ばかりです。しかし、実際にプロ棋士になれるのは、年間にたったの4人くらいなのだそうです。この門の狭さは難関大学の比ではありません。そこでは、圧倒的な才能を持った人が、圧倒的な努力をして、それでも勝ち残ることができなかったという状況が存在しているはずです。

強い気持ちを持っていたからって、現実の世界で勝てるとは限りません。では、強い気持ちを持つことは無駄なのでしょうか?

あなたの中の石の塊

私が最近になって「なるほど、そういうことだったのか」と気づいたことがあります。それは「気持ち次第ではなんともならないという現実があるからこそ、なんともならない現実に立ち向かうためには、強い気持ちが必要とされる」ということです。

人間って、ときどき感情が揺れたり弱くなったりしますよね。会社で仕事を頑張っていても、何か個人的な夢に向かって密かに努力していても、「頑張ったって結局は成功しないし、周りから評価もされないんじゃないか」とか、「こんなことしても何も意味がないんじゃないか」っていう気持ちになることはあります。落ち込んだときの「どうせ無駄なんだ」という感覚はすごく生々しく、強い実感として起こります。人生は無意味だ、って思うことはありませんか? 私はもう、何百回そう感じたかわからないです。

人生の意味というのは主観の問題なので、客観的に「あなたがこれをすることは世界にとって重要なんだ」と保証してくれるものは何もありません。誰かが心から重要だと思っていることは、他の誰かにとってはどうでもいいことである場合が多いものですし、人のやることなんて100年もすればそのほとんどが忘れ去られます。誰もあなたの目標の大切さを約束してくれません。そうしたときに拠り所になってくれるのは、やはり気持ちを強く持つということしかない気がするんです。

これは盛大に燃える炎のような熱い気持ちというよりは、静かに、しかし断固として存在する石の塊みたいな気持ちが必要になると思います。では、そうした気持ちはどうしたら持てるのかという話になりますね。

これはおそらく方法論ではどうにもなりません。ただ、人間は心の底に何かひとつ、そのような気持ちを生まれたときから持っているのではないかと、個人的には思います。自分が心から好きなこと、本当に大切だと思っていること、そういうものがきっとあるはずです。それは「絵を描くことが好きなんだ」という具体的な対象よりも、もう少し微妙で抽象的な感覚として存在すると思います。

自分の中を奥の奥まで掘り下げて、それを見つけるんです。人間はそのようなものを探すために生きているのではないかな、と思います。

関連記事

近い話

少し離れた話