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私が商売で失敗した話
私は昔から社会性に乏しくて、会社員生活は自分に合っていないと感じていたので、新卒で入った会社を退職したあとに、一時期ずっと家の中で個人的なプロジェクトに取り組んでいたことがあります。私はプログラマとしての腕にはそこそこ自信を持っていたので、個人で何かやってやろうと思い立って、そこで目をつけたのが株式のトレードの自動化でした。
これは業界ではシステムトレードと呼ばれている手法で、普通は専用のツールを使ったりするのですけど、私は一からすベて自前でプログラムを組みました。証券取引が徐々に電子化されてきた時代とはいえ、個人でこうしたことを行うのは相当大変です。プログラムで扱えるように整形されたデータと、人がブラウザで見ることができるデータというのはかけ離れているので、毎日更新される株価のデータベースを個人で持つという時点で、けっこう面倒な話なのです。そしてこれは単なる準備段階です。データが手に入ったら今度はその分析で、統計的に利益が見込めるような売買のルールを探し出すという、これまた難しい仕事が待っています。
結論から言うと、私のプロジェクトは成功しませんでした。利益が出たのかと言われれば出たのですが、「毎日フルタイムの仕事と同様の労力を注いでいる」ということを考えると、会社員と比較して割のいい仕事では全然なかったのです。これは単純に収入が十分ではないというだけではありません。投資をしているということは、自分のお金が失われるリスクを常に取っているということです。大人がひとり生活していくなら、年収にして数百万円は必須になります。そのためにリスクにさらす金額は、数百万円という規模ではもちろん十分でなく、4桁万円はどうしても必要になります。4桁万円のお金が、自分の失敗と市場の気まぐれひとつで失われるかもしれない、というストレスに毎日耐える必要があったのです。
私は家の中でひたすら数字と記号の羅列に向き合っていましたが、実際にはこれはビジネスを立ち上げたということです。そして、「○年で○割の飲食店は閉店する」といった話がよく聞かれるように、ビジネスが成功するということは稀です。私のこの取り組みは約2年ほど続きました。最終的に、私はトレードで生計を立てるということを諦め、再び企業の中でエンジニアとして働き始めることになります。
成功してたら幸せだったのか?
警察に捕まるような悪事を除けば、世の中でお金を得られることというのは、何か社会の中で役割を果たしている場合に限られます。役割を果たした対価として売上があって、そこから利益が得られるのが普通です。
投資に関して言えば、投資家が利益を得られるのは、他人のリスクを肩代わりしているという事実によっています。普通の会社員の人は、ビジネスが失敗したからといって自分の財産を取られるようなことはないですよね。ビジネスで使われるお金の原資は投資家が出していて、何かあったときに損をするのは投資家の仕事です。そうであるからこそ、成功したときに利益を得るのも投資家の権利になるんです。トレードの利鞘といった話になると、実態はもう少し複雑になりますが(今度は市場に流動性を与えているというような役割も出てきます)、基本的な考え方は、リスクを負うという仕事をしているのが投資家なのだということです。
自分で汗をかくことのない投資家が社会の役に立っているというのは、ちょっとこじつけっぽい気もしますよね。実際、これは微妙な話です。私が自分自身のプロジェクトに取り組んでいたとき、つまり投資家として仕事をしていたとき、消えることがなかったのが「これは本当に意味のあることなんだろうか?」という疑問です。
人間って大変なことには耐えられるけど、意味のないことには耐えられないんですよね。少なくとも、私にとってこの仕事は、社会に生きる人間として、何か意味が感じられるものではありませんでした。これが何か世界に革新をもたらして、自らの仕事で人々を助けようとしている若者たちのスタートアップ(ベンチャー企業)に投資するといった話だったら、もう少し違った見方はできるかもしれませんが、普通の株式市場に投資するというのは誰にでもできることです。
もし私が自らのプロジェクトにおいて、最初の1年や2年である程度成功していたとしたら、私はそれを続けていたことでしょう。そして、おそらくそのことに何か意味を感じるということは、その先もなかったと思います。
当時の私は、短くない時間と多くの労力を費やした仕事が失敗したということについて、悔しく感じました。しかし、あれからまた年数が経って、今の私が抱いている正直な感想は違うものになっています。今の私が感じるのは、なるほど、私は成功しなくてよかったのかもしれないな、というものなのです。
成功は呪いになる
成功というのは、ある種の呪いとなることがあります。お笑い芸人やミュージシャンには「一発屋」というものが存在していて、たまたま何らかの歯車が噛み合うことによって爆発的にブレイクしたものの、その後のヒットにまったく恵まれなくなる、という現象があります。
あるいは、高校野球で地元では有名な選手だったけれど、プロとして成功するほどの実力には届かないといった人がいます。すごく美人で、周りからはチヤホヤされているけど、アイドルや芸能人になれるほどの突き抜けたタレント性は持っていないといった場合もあります。こうしたとき、成功体験は足枷となり、もっと現実的で自分を幸せにしてくれる可能性が高いような、他の道を選んで生きていくことを阻むことがあります。
恋愛において、きっぱりと断られるというのは案外いいことです。あの人ともっと仲良くなりたいな、自分のことをどう思っているのだろう……といろいろ悩んでいるうちは楽しいですが、脈なしということが明らかになると、もう夢を見る余地はなくなります。それはつらいことかもしれませんが、元々その相手はあなたにとって大切な存在になる人ではなくて、それがあるタイミングで明らかになったというだけのことなんです。いつかわかるのなら、そのタイミングが早いほうがいいです。存在しなかった夢をちゃんと捨てることができれば、次へ進むことができます。
地に足のついた夢を持つ
人間にはいつでも可能性があるので、よく大人が言うような「夢なんか見るな、現実を見ろ」というのは、いかにもつまらない発言です。夢はあったほうがいいし、いつでも未知のものに向かって頑張っていたほうが、生きていて楽しいはずです。
ただ、夢というのはやっぱり生身の自分とちゃんと結びつけて持っているべきものだと思います。小さい子どもの夢と大学生の夢が異なるように、夢というのは世界の認識と今の自分の姿に合わせて変化していくのが普通です。
別に子どもが宇宙飛行士になれないと気づいたからといって、その子の可能性は何も閉ざされていませんよね。大人になって、自分の人生が特別変わったものではないということを知って、面白みのない挫折をいくつか経験したあとでも、やっぱり何か可能性は残っているはずです。
夢を諦めることになったら、それはそれとしてきちんと捨てて、また新しい夢を探すといいと思います。転んでも起き上がって、前向きに頑張るのが大人です。
おまけ:専門的な話
余談として、私の使用した投資手法についての本音の話を書こうと思ったのですが、量が多くなったので別の記事に分けました。興味のある方は「システムトレードで利益を出す上で、最も重要なただひとつのこと (2023.12.14)」をご参照くださいね。
さらにおまけ:投資の話が書籍になりました
この記事を書いて半年ちょっと後、「投資に正解は存在するか:堅実な株式投資と資産形成の入門ガイド」という本を出版しました。この記事で書いたような投資家の仕事をしていたのは10年近く前になるのですが、結局、そうした経験も最後には役に立ったというわけです。いやはや。
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