小鳥と暮らす

今年から1羽の文鳥と一緒に暮らしています。「大空を自由に飛べるはずの小鳥をケージに入れて飼うなんてかわいそう」という考え方があるので、それについて思うことを少し書きます。

まず、自然界というのは基本的に厳しい環境です。人間は科学と文明の力を使って、食料や公衆衛生の確保を高いレベルで行なっているので、現代人には「自然はやさしいものだ」という誤解が生まれています。しかし、自然界というのは適応できない者からあっさり死んでいく世界です。これは厳しいというよりは、そもそも「やさしい」とか「厳しい」という基準を持ち合わせていない、ただそういう物質的な世界が存在しているというだけの話です。

小鳥というのは特別外敵に強い生き物ではありません。他の生き物と同じように、彼らは安全な場所や食べるものを常に探す必要があります。自然界において、生き物はまさに「生きる」ということそのものにエネルギーを費やします。

人間の文明がここまで発展したのは、一部の人間が余暇を獲得したからです。過去に存在した奴隷制度は、現代の倫理からすれば誤ったものですが、古代ギリシアの例のように、それは人間にとって何か価値のあるものも生み出しました。朝早くから夜遅くまで働き詰めの人間が、何か人間らしい幸せを得るというのは難しいことです。

これはおそらく動物にとっても同じです。人間の家族の一員として室内で暮らす小型犬は、安全で快適な生活の中で、人間との愛情ある交流を得ることができます。これは野生の生き物には起こり得ないことです。もしかしたら犬にとっては、散歩が不十分で退屈していたり運動不足になるといったことは発生するかもしれませんが、基本的には野良と比べればずっと「よい暮らし」ができているはずです。

室内で暮らす小鳥についても、同じことが言えます。鳥は人間とは異なるとはいえ、知性も感情もある生き物です。私たちは彼らに安全な環境を与えて、同じ時間を過ごし、部屋の中で一緒に遊ぶことができます。これは人間にとっての楽しみでもありますが、同時に鳥に対しても、自然界の生存競争の中では得られないはずの幸せを与えることにはならないでしょうか?

ただ、以上のようなことを理解しているとしても、小鳥を部屋の中で飼うというのは、確かに人間のエゴだと認識している必要はあると思います。小鳥と暮らすには、健康管理や怪我の危険を避けるために、それなりにしっかりとした知識を持ち、注意と労力を払うことが必要です。自分の家に小鳥をお迎えする人間は、自分が命を預かっているのだという認識を持つべきです。

たとえば、人間の不注意によって部屋の窓が開いたままになっていて、小鳥が外に飛んでいってしまって行方不明になるということがあります。これはロストと呼ばれる事故で、ロストした小鳥は発見が難しいどころか、外敵の存在や未知の環境に突然放り出されたストレスにより、生存すること自体が難しくなります。

ペットと人間を比べることは適切でないかもしれませんが、責任と同時に大きな喜びが存在するというのは、人の子育てに似ています。とはいえ、子育てと比べれば、小鳥と暮らすことにかかるコストや労力というのはわずかなものです。ある程度の常識と愛情があれば、あとは暮らしながら学んでいけます。

もし小鳥をお迎えしてみたいという人がいれば、どんな道具や環境が必要でどこのお店で取り扱っているかなど、どうぞ前向きに具体的なことを調べてみてください。きっと素敵な世界が待っているはずです。

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