Twitterはすごい発明だった
今は極悪超人のイーロン・マスクによってめちゃくちゃにされてしまいましたが(現在進行形でめちゃくちゃにされていますが)、Twitterというサービスは本当にすごい発明だったと思います。ポイントは発言を140文字に制限するというアイデアです。
少し調べてみると、これは創業者のジャック・ドーシー氏が意識的にシンプルなサービスを狙って設計したのだそうです。「機能を増やすには技術が要るが、機能を減らすには哲学が要る」という格言に表れているとおり、余計なものを付け加えずに本質を維持するというのには哲学が要ります。
140文字という制限の上では、発言に含まれる内容はかなり絞られるので、発言に「内容をよく考えてまとめる」という行為がほとんど必要ありません。そうなると手軽に発言できるわけで、手軽に発言できるようになるとコミュニティは活発化します。これがTwitterの普及のいちばんの要因だったと思います。「よく考えてまとめる」ということはすごくめんどくさいことですから、そういうことをわざわざ行いたいという人はあまりいないんです。
めんどくさいほうが楽しい
私は今ここで「すごく長くはないけど、そこそこまとまった長さの記事が中心のブログ」を書いています。書きたいことが短時間であっさり文章にまとまってくれるということはめったにないので、だいたい常に20〜30記事くらいの書きかけの記事が下書きに溜まっています。思いつきで書き出すことはいくらでもできますが、苦労して形を整えて仕上げるということをしなければ、書きかけの記事は溜まる一方です。
文章をまとめるというのは、すごくめんどくさいことです。「自分らしい何かを表現したい」という人がたくさんいても、実際に表現する人がそれほど多いわけではないというのは、あらゆる表現という活動に必ずついてくる、このめんどくささというものによると思います。多くの人は、このめんどくささに負けてしまいます。
多くの趣味は「めんどくさいことをわざわざ自分でやる」という要素を含んでいます。だから家具屋で売っているようなものもDIYで作るし、キャンプに行けば便利な家電製品は使わないし、塗装済みのプラモデルよりも自分で塗ったほうが楽しいということが発生します。めんどくささを克服できるかというのは、人生の中にやりがいを感じられる何かを持てるかということとほぼ同義です。
「お菓子をただ食べることが趣味です」ということはあまり言わないように、めんどくささが含まれない行為はあまり楽しくなりません。お菓子だってTwitterだっていいものなのは確かですが、目の前のことをもっと楽しくするために、たまには重い腰を上げてみることが必要なんじゃないかなと思いますね。
イーロンにおかれましては、せっかく名前がマスクなので、Xの文字をモチーフにした覆面を被った悪役レスラーとして登場してほしいなと思います。こっぴどくやられてほしいです。
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