みなさんは人生に目的ってありますか? なぜだか人生の目標を見失ってしまった、と感じてはいないでしょうか。そんな人生の意味、人生の目標と目的について書いてみたいと思います。
人生に意味はない
人生にあらかじめ与えられた意味はありません。あなたが意味を与えるだけです。これは人生というものを考える上での大前提だと思います。
私たちは何かの偶然で生まれてきてしまっただけです。それは人間も鳥も虫も変わりありません。たまたま生まれてきた命に、あなたという自我が宿っただけなのです。私たちが自分の自我を意識できるほどに生物として進化して、ついには自分の存在に疑問を持てるほどになったのも、何かの偶然という他にありません。
それを分かった上で、私たちは自分の人生を意味付ける必要があります。人間は意味なしには生きられない動物だからです。
必要な問いかけと答え
私自身はいかなる宗教も信仰しませんし、またそれを推奨するものでもありません。しかし、私は宗教「的」な問いかけは人間が生きていく上で必要不可欠なものだと感じています。
我々はなぜ生きているのか。この苦しみにはいったい何の意味があるのか。それに対していわゆる宗教が与える答えは、もしかしたら間違っているかもしれません。しかしなお、その問いかけは絶対的に必要なのです。
私が参考にしたいのは、仏教学者の鈴木大拙の残した思想です。彼の著作「禅」と「真宗入門」については、多数の引用を交えて書評を書きましたので、そちらを参照してみてください。
禅の思想を以下に引用してみましょう。
もしあなた方が食事をとり、衣服をととのえ、野良で働いて米なり野菜なりを作るならば、それであなた方は、この世でなすべきことのすべてをなしているのであり、無限はあなた方の中に実現しているのである。
鈴木大拙「禅」、p.61
あなたが禅の考え方に共感を覚えるかどうかは、あなたの持って生まれた性質や生まれ育った考え方によるので、この言葉がどの程度あなたの胸に響くかは分かりません。しかし、我々は皆、このような無条件の肯定へと向かうべきように思います。
我々の存在には根拠がありません。それは先に書いたとおりです。あらゆる問いかけは無限に「なぜ?」と問い続けることができ、終わりがありません。我々に必要なのはその問いかけを終わりにする、根拠のない肯定です。
あなた自身の中に求めよ
あなたが無条件の肯定に至ることができるかどうかは、あなた自身の闘いです。日常生活のレベルでは、私たちは周囲の人間に助けられながら生きています。しかし、この根源的な問いかけのレベルでは、あなたは誰の力も借りずに、あなた自身で答えを出す必要があります。
再び禅の言葉を引用してみます。
「わしの言葉はわしのもので、お前のではない、お前のものとはなり得ない。すべてはお前自身の中から出てこなければならぬ。」
鈴木大拙「禅」、p.15
あなた自身の理由を見つけてください。あなた自身の言葉を見つけてください。その闘いは厳しく、終わりのないように見えるかもしれません。しかしその闘いは決して、無意味なものではないはずです。
幸運を祈ります。