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特に若いうちはそうですが、世の中には「恋愛をしなければならない」という圧力が強く存在しています。恋愛はステータスであり、陶酔であり、なければ恥ずかしいものとされています。これはひとつの宗教みたいなものですね。別に誰かを好きじゃなくても、常に誰かを好きであると思い込むことが必要とされます。
私も個人的には、他の誰かと深い関係を結ぶということほど価値のある体験って、この世にあまりないんじゃないかな、とは思っています。人間が成長する上で通過しなければならない重要な仕事として、自己というものをいかに確立して、その上で自己の牢獄からいかに自由になるか、ということがあります。他者と深い関係を結ぶには、まさにこの両方が必要です。自分というものがなければ依存的な関係へ一直線でしょうし、一方で自己にとらわれていては魅力的な人ではあり得ないし、目の前の相手に本当の関心を持つことはできません。パートナーを持つということと人間的な成熟は、多くの場合、並行して進むものだと思います。
それでも、恋愛というのは現代の宗教なので、よくよく見てみればおかしな部分はたくさんあります。たとえば「トキメキ」です。恋愛にトキメキを求めるということに対して私が感じるのは、うーんそれは目の前の人間に対して失礼なんじゃない? ということです。ホルモンの効力でウカレハッピーになりたいというのは、新しいおもちゃを次々と手に入れたいというのと何も変わらなくて、そのうち飽きがきて終わるのは分かり切ってますよね。人間関係に喜びがあって、それを求めるのは普通のことですが、このような恋愛はちょっと軽薄すぎます。本質的には、酔うことと酔いから覚めることを繰り返しているだけなのに、どうしてそこに何か崇高なものがあるって信じたいんでしょう? こういう恋愛は関心が相手ではなく自己に向いているので、ホルモンの効力が切れると同時に、本当は何も一致していなかったんだということに気づいて終わりになることが多いです。
人と何か真剣な関係を築きたいと思うとき、恋愛という様式を通過しなければならないのは難儀なことだなと感じます。追い求める価値のあるものは、たぶん恋愛のその先にあると思うのですが。
でも、恋愛そのものを求め続ける人は、きっと今までもこれからもたくさんいるんでしょうね。私はハンバーグが好きじゃないけど、みんなはハンバーグが好きなんだな、っていうだけの話です。でも、みんな本当にそれでいいのかな〜?
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