「愛されたい」じゃないだろ、先に愛せよ

ここで残念な事実について触れます。かけがえのない私を特別扱いしろ! 愛情が欲しい欲しい欲しーい!! と言っている人に愛情が与えられるようには、世の中はできていません。

愛情が与えられるケースには、主にふたつあります。まず、面白いことに、愛情を求めている人間よりも、愛情に頓着していないように見える人間のほうに愛情は与えられる傾向があります。これは「来られても応じないけど、逃げられると追いたくなる」みたいなもので、人間はそういう天邪鬼な性質を持っています。こういう性質を利用した人たらし的な振る舞いにはあまり感心しませんが、とにかく人間はそのようにできています。

もうひとつは、愛情や関心というのは、先にそれを与えてくれた人へのお返しとして与えられることが多いということです。これは常識的に考えてそうですね。相手に対する関心を少し表明して、同じようにこちらに対する関心が返ってくれば、もう少し踏み込んで関心を示してみる。親しい関係は、そのようにして深まっていくのが普通です。

これらは、どちらも「求める」ということ自体に対して応じられているわけではないというのがポイントです。お金や利害関係で取引できるなら、それは真の愛情ではない、というのはわかりますよね。このような性質を理解した上で、何かできることがあるとしたら、それは先に自分から愛情や関心を与えていくということだけです。

結局、何かを得られる人というのは、何かを与えた人だけなんです。通常、この循環の基盤となるものは、最初に与えられる親の愛情です。初めに無条件で自分の存在が受け入れられたという実感が与えられると、今度は他人を受け入れる余地が生まれます。ただ、人の親というのも人間で、完璧な人間はどこにもいないので、きれいに事が運ぶケースばかりとは限りません。親らしい愛情を持たない(もしくは適切に表現ができない)親も実際にいるので、自分は何も悪くないのに不利な立場でスタートラインに立たされてしまったという人も、一定の割合でいます。

「自分はいつも損ばかりしている! みんなずるい!」と思うこともあるかもしれませんが、それは理不尽ですがどうにもなりません。人生が不公平なのはいつものことです。こういうときに愚痴っぽく、恨みがましく生きている人よりも、何事もないかのように前向きに生きている人のほうが、やはり愛情は与えられがちです。

早めに前を向いて、周りの人間を大切にしていきましょう。

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