人は欠損でできている

本当のことを語るということ

自分を本当に動かしてくれるのは自分にとって本当のことだけだし、人が何かを言うことで他の人の心に響くものがあるとしたら、それもやはり本心で言ったことだけではないかと思います。そして、人が何か本当のことを言うときというのは、その人の個人的な領域に深く関わっていることが多いです。ここで、少し私自身の話をします。

今これを書いている私が、今このように考えるようになったのは、実際のところ自分の意思ではありません。私を方向づけたものは、自分には何かが「ない」とか、自分にはそれが「できない」といった事実たちです。

お腹がいっぱいの人は、食べ物について考えませんよね。食べることについて考えるのは、お腹が空いている人だけです。私が人生の意味や人の幸せというものについてずっと考えているのは、そういうものが自分には「ない」という強い実感に基づいています。長年考えて、いろいろな経験もして、今では自分がまったくそういうものを持っていないとは思わなくなっていますが、少なくとも私の人生の大半で駆動力となってきたのは、「ない」というその実感です。

私になかったもの

私は今、自分が考えたことをこうしてネット上で言葉で語っていますね。このことは実は、私が「ない」から出来上がっているということのちょうどいい一例です。

私が使っている言葉は、昔からたくさん読み漁ってきた本と、ネット上で常に言葉によるコミュニケーションを行ってきたという経験でできています。本やネットというものが私にとって重要だったのは、私が学校や会社といった普通の社会生活をうまく行うことができなかったからです。周囲の人間に馴染めるなら、ネットでの繋がりなんてそこまで重要ではないでしょう(私がネットを始めたのは、まだ今のようにSNSが一般的でなかった時代です)。

また、言葉で語るということには、その物事についてよく考えるということが必要です。私がいちいち何かを考えるのは、普通の人がフィーリングと空気で理解できることをそのままの形では理解できないからです。社会や他人のことがよくわからないから、感覚でうまく生きていくことができないからこそ、理屈で考えるんです。自分の考えを整理して、文章にして書くというのは、けっこう大変です。それでも、私はそうせずには生きていられません。

今述べたようなことは、私の性格においてすごく中心的な要素です。私はこのような人間になりたかったからこうなったのではなく、他の人間になれなかった結果としてこうなりました。私をつくったのは、私の長所ではなく、希望でもなく、私に欠けていたものだったんです。

あなたの欠損があなたをつくる

これは「コンプレックスをバネにしよう」みたいな話とはちょっと違います。少なくとも私自身の感覚では、「なにくそ」みたいな気持ちにあまり力はない気がしています。他人を見返してやろうというのは、主体が自分の中にないので、動機としては弱いんです。

コンプレックスをバネにしようというのは、意思を奮い立たせようとするニュアンスがありますね。でも、意思は関係ありません。必ずそうなるんです。あなたの欠損は、必ずあなたを形作るものとなるはずです。

海や陸や空など、すべての環境で問題なく生きていける生物というのは存在しません。足の遅い動物は、外敵から自分を守るための殻を発達させることがあります。あなたに何が欠けていようと、あなたは生きていかなければならないので、そこでは他の何かを発達させるということをするはずです。

必ずそうなるのなら、何故わざわざこのようなことを言っているのかという話になりますね。それは、欠損というのは呪いなので、人はそのことを前向きに捉えるということがすごく難しいんです。あなたが苦労して他の何かを発達させたとき、それは宝物になるはずです。最終的に、どうにかここまで生きてきた自分というものの姿を見るとき、そこには誇りのような感覚を持つことができると思います。

最後にはそれが宝になる

欠損は呪いだという意識が強いと、自分がそうした中でなんとか生き抜いてきたのだという、誇りの感覚を見落としてしまいます。自分の存在を否定したい人はいないはずです。私はこれを読んでいるあなたに、この誇りのような感覚を見つけてほしいと思っています。

これはまったく個人的な過程になります。本で読んだ知識も、人から聞いたアドバイスも体験談も、ときには役に立ちます。それでも、実際にやるのは自分だし、それを支えてくれるのも自分だけだし、結果を引き受けるのも自分です。ゲームのようにリセットはできないし、攻略本も攻略サイトも存在しません。

頑張ってほしいと思います。それは最後には宝物になるはずです。個人の体験を客観的な証拠だと言うことはできないので、私に言えるのは、私はそうだったのだということだけです。

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