離れた場所からなら何だって言えるもんな

ステージに立った人しか知らなこと

私は楽器を弾く人なので、たまに人前で演奏をすることがあります。今の楽器を本格的に始めて8年ほど経つのですが、以前からずっと変わらないことがあります。人前でライブするときって、指が震えるんですよ。足が震えることもあります。自分の意思とはまったく無関係に、勝手に震えるんです。

私は技術系の人間で、学生の頃から、大勢の人前で喋って何かを発表するということにあまり抵抗がない人でした。そうか、自分は本番でも特に緊張しないほうなんだな、と思っていました。しかし、楽器の演奏に関しては違いました。本当に、めちゃくちゃ緊張します。緊張しないでいいと自分で言い聞かせたとしても、他人からそう言われたとしても、これはどうにもなりませんでした。

私がここでいうライブっていうのは、プロのミュージシャンがやるような大規模なライブとはもちろん違って、もっと言えばアマチュアのバンドマンがライブハウスでやるようなライブとも違います。音楽好きのマスターがいるさほど広くないカフェで、お客さんの半分は顔見知りのようなもので、お金も取らないようなライブです。ただその音楽が好きというだけで集まっている地域のコミュニティなので、緊張する必要なんて全然ないんです。それでもやはり、緊張するなと言っても無理な話なんです。

誰だって目の前の世界がすべてだ

たとえば、学校での人間関係に悩んでいる高校生の女の子がいるとします。学校っていうのは本当に狭い世界です。10代を終えて社会に出て、自分で自分の環境や付き合いたい人間を選べるようになった大人なら、そんなことで真剣に悩む必要は全然ないんだよ、と思うでしょう。実際、私も10代の頃の悩みなどを思い出すと、「あんなこと本当は全然重要じゃなかったな」と感じます。

でも、その子にとって目の前にある「学校」という世界は、紛れもない現実なんです。「視野を広く持とう」というのは何も間違っていないアドバイスですが、ひとつの世界しかその目で見たことのない人に、別の世界を想像しろと言うのは無理な要求です。

何かの物事に対して第三者であるということは、客観的な判断ができるということでもありますが、私たちはその中に生きている人たちの経験する生々しさというものを軽視しがちです。ブラック企業に勤めている人に「早く抜け出して転職したら」と言うのもそうですし、誰かと依存的や支配的な関係で泥沼になっている人に「別れたら」とか「離婚したら」と言うのもそうです。

目の前で人が悩んでいるときに何が言えるか、というのはすごく難しい問題です。大人になったら、自分のことは最終的には自分で決めるべきでしょう。だからといって、見ているだけで何も手を貸さないというのはひどい話ですし、他人の力になるということは難しいにしても不可能ではありません。他人の領域にどの程度立ち入るべきか、ということにわかりやすい正解はないので、いつでもちゃんと考え続ける必要があります。

悩みを聞いてほしいというのは別にアドバイスがほしいわけではない、というのはよく言われることですね。私が人の話を聞くときは、とにかく相手に喋ってもらうようにして、具体的な判断は差し控えて、あくまで「自分はそうだったよ」という前提で自分の経験を話したりする、といったことを意識しています。これが正解なのかは、正直わからないです。

相手の苦しみを軽視しない

ステージに立つ人の気持ちは、基本的にはステージに立った経験のある人にしかわかりません。離れた安全な場所からなら何だって言うことができます。いくらでも無責任に批判したり、けなしたりできるんです。

私自身のライブの経験と、人間関係に悩む高校生という2つの例を出しました。あなたは人前で楽器を弾いてライブをしたことはないかもしれませんが、高校生だったことはあると思います。しかし、大人になって何年かしたら、高校生の悩みにリアルに共感するということはおそらく難しくなっているはずです。私たちは自分で経験したことすら忘れてしまうんですね。

他者の理解というのはどこまでいっても難しい話で、人と付き合って何かをしたり言ったりするときに、本当にこれでいいのかなという疑問が消えることは決してありません。目の前の人の悩みを100%理解することはできないにしても、せめてそれを軽視したりはしないようにしたいですね。

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