本当はみんなテキトー言ってるだけ

みんなテキトー言ってる

世間でよく言われる言説というものがあります。たとえば「本当に死にたいと思っている人は死にたいなんて言わない」といったものです。これはそれなりに「どこかで見たような発言」であり、世の中で一定の割合の人がそのように考えているということでしょう。

当たり前のことですが、実際に親しい間柄の人が自殺してしまった経験があるという人は多数派ではないし、仮にそれを経験した人であっても、1つや2つの実例から「これが人間心理だ」というふうに一般化するのは明らかに不適切です。実際の自殺企図とその直前の行動を理解するには、社会学者なり心理学者なりによる綿密な仕事が必要なことでしょう。デュルケームが「自殺論」を書いたのは1897年のことですが、これはなかなかに分厚い本でした。

どうして「本当に死にたいと思っている人は死にたいなんて言わない」などという言説が流れるのでしょうか? 簡単です。テキトー言ってるからです。世間の人はみんなテキトー言ってます

他人に流されないということ

よく「自分の意見を持とう」などと言われます。これはまあ、ある意味では間違っていないのですが、もっと大切なことがあります。それは「事実に基づく」という姿勢を持つことです。意見というのはどのような立場を取るか、どのような解釈をするかということであって、それは実際はどちらかといえば好き嫌いという感覚に属する話で、あんまり事実とは関係ありません。

だいたいの人はだいたいのトピックに対して「なんとなくそう感じるから」というだけでテキトー言っており、それを自覚してもいません。先に挙げたように、自殺といった極めてセンシティブで、複雑で、軽視すべきでないことが明らかである話題についても、人はテキトー言っているのです。

他人に流されないということは大切です。ただ、そこで「確固たる自分の意見を持とう」と思うのは少し違います。大事なのは「事実でないことに関しては何でも重要視しないようにしよう」ということです。意見は事実ではなく、意見は重要ではありません。人から何か言われたとしても、ああ、この人はチョコレートが好きなんだな、トマトは嫌いなんだな、といった程度の話でしかありません。

テキトー言われても気にしないようにしましょう。そして自分が何かを言うときは、なるべくテキトー言わないか、テキトー言ってるときはせめてそれを自覚するようにしましょう。

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