真面目のいいこと悪いこと

真面目であるということは、一般的にいいことだとされていますね。私も真面目な人のほうが好きで、チャラチャラ生きてる人はあまり好きでないなって感じます。

ただ、真面目さという性質は、いくつかの問題のある側面を示すことがあります。世間では推奨されているように見えるけど、実はそれは自分らしく幸せに生きるためにはやめたほうがいいことだったりすることもあります。いくつか挙げてみましょう。すぐに思いつくのは以下の3つです。

まず、真面目さは何らかの「正しさ」を信じるということを意味している場合があります。しかし、実際の世界は曖昧で白黒つかないことが多く、何が正しいかということははっきりしないことが多いです。明らかに人道的でないことをやっている独裁政権とか、極端な立場を取る政治家などが、実は自分にとっての正義と理想を真面目に追求しているつもりだったみたいな話はときどき聞きますね。真面目さというのは正しさを限定して、視野を狭める性質があります。

次に、真面目さというのは硬直であり、柔軟性を失うことでもあります。状況は変化するし、人間も変化します。自分が間違っていたと気づくこともありますし、何か新しい情報を知ったことで判断を変えるということが必要な場合もあります。真面目な人は、自分の考え方や立場を変えるということが難しい傾向があるようです。考え方を変えるというのは、必ずしもいいかげんであるということを意味しません。それは環境に適応するために、必要であることも多いのです。

何かに従うということも、真面目さの要素です。決められたルールであったり、他人や組織の権威といったものですね。それは間違っている場合もありますから、何か周りの人と違った結論に行き着いたとしても、自分の頭で考えるということは大切なはずです。従うということは、自分を押し殺すことでもあります。自分を殺してしまった人間が幸せに暮らすというのは難しいことです。

ざっと挙げられる指摘は以上のようなものです。何事もそうですが、行き過ぎというのはよくないことに繋がります。もしあなたが真面目であるということに息苦しさを感じているのなら、これらの視点をもとに、少しずつ生き方の軌道修正をしていくといいと思います。

人間は時間をかければ変われるので、大丈夫です。

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