あらゆる発言と行動には難癖をつけることができる

ある風刺画

インターネット上には無数の印象的で面白い画像が流通していて、それは名作と呼ばれる漫画の一コマの抜粋だったり、無名の誰かがやっつけで作った雑なコラージュだったりします。私が過去に目にした面白い画像で、おそらくちゃんとした風刺画の画家が描いたものだと思うのですが、ラクダと老夫婦というものがあります。

これはラクダを連れた老夫婦と、それを見た第三者が何か言っているという、4つの異なる状況を描いたコマで構成されています。まず、ラクダに夫が乗っているところに対して言われるのが「女性に歩かせるとはどういうことだ」。次に、ラクダに妻だけが乗ると「夫を立てるということを知らないのか」。さらに、ラクダに老夫婦ふたりが乗ると「ラクダにそんな重さを課して、残酷だと思わないのか」。最後に、ふたりともラクダに乗ることなくそのまま連れて歩いていると「ラクダの使い方も知らない愚かな人たちだ」。

これはかなり面白い例で、ひとつの事実を明白にしています。それは、「あらゆる発言と行動には難癖をつけることができる」ということです。

批判されたら何かをやってる証拠

完全無欠な人間はこの世にいませんが、仮に完全無欠の人間がいたとしたらどうでしょう? これを想像するのは簡単で、「そういう完璧ぶったところが俺は気に食わないんだ」と言う人が必ず出てきます。ギャグみたいな話ですが、本当に出てきます。

人間はときに間違うものですし、違った感じ方をする人間というのは常にいます。好き嫌いは誰にでもあるし、うっかり人を傷つけてしまって後悔することだってよくあります。だから、自分が気がつかなかった誤りや欠点、別の視点といったものを人が指摘してくれるといったことに対しては、いつでも受け入れる用意をしておくべきでしょう。

一方で、ただなんとなく気に入らないというだけで発せられた心ない言葉というのも世の中にはたくさんあって、そういうことにいちいち傷つく必要はありません。傷つけてやろうなんて人の言葉に本当に傷つくなんて、ちょっと悔しいですよね。そういう人には私は傷ついてやらないぞ、という姿勢を持ちましょう。

私が過去にネット上で読んだ言葉で、印象に残っているものがいくつかあるので紹介します。まず、漫画を描くことについての発言だったと思いますが、「悪口は有名にならないと言ってもらえない」という言葉。次に、「これは面白くないという人が現れ出したら、主要なターゲット以外の層にも広まってきている証拠だ」という言葉です。これは何かを作ったりして発信している人には有用な考え方ですね。自分の作ったものが広まれば何か言う人は必ず出てくる、むしろ広まったという事実がわかったならそれはよいことなので、批判なんて気にせずにもっとがんばろう、ということです。

もうひとつ、「失礼な人の言うことは聞かなくてもいい」という言葉もあります。こちらは仕事の場面など、日常にも使える考え方でしょう。ちゃんとした社会人の人であれば、言い方には気を遣います。誰かの仕事に直してほしいところがあったとき、それを指摘するのって気を遣いますよね。「正しいことを言う」というのは常に人を傷つける可能性があって、相手の逃げ道を塞いで正論で責めるなんてことは、まともな感覚を持った人であればまずやりません。こういうことをする人は、無意識にせよ相手を傷つけること自体が目的になっていることがあって、それはまともに受け取るに値しないことです。

人から批判されるというのは、実際にあなたが何かをやっているという証拠です。そういうことは右から左へ聞き流すべきです。もちろん、人間の気持ちはロボットのように完全に合理的にというわけにはいきませんから、傷つくよなあ、という気持ちになることはあるでしょう。しかし、もう一度言いますが、私は傷ついてやらないぞ、という気持ちを強く持ちましょう。そんな人たちのためにあなたが傷ついてあげる必要は全然ないのです。

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