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人はやったとおりの人間になる
吉田兼好の「徒然草」の有名な一節に、「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり」というのがあります。内心がどういう「つもり」であれ、その人は実際に行動したとおりのその人であるし、世間もそのように理解するだろう、ということです。
「自分はやさしくて思いやりに溢れた人間なんだ!」と思うことにはあまり意味がありません。それは実際に自分がそういう行動をして、相手がそう感じたということの積み重ねでしか現実にはならないからです。自己啓発本などで「心構えを変えるんじゃなくて具合的な行動を変えろ」というのは散々言われていることですが、あちこちで繰り返し言われるというのは、それだけ実行することが難しくて、実行できる人が少ないということなのかもしれません。
自分を変えるということは確かに難しいように思われますが、ここでひとつの別の考え方があります。人は実際にそのように行動したその人でしかなく、世間もそのように評価する。これは実は、自分を変えるためには心を変える必要はないということです。
他人のことを羨ましいと思ったりするのって、簡単にはやめられませんよね? では、悪口や噂話をしないようにする、というのはどうでしょうか? これは、やろうと思えば意外とできるんじゃないかなと思います。
試しに善人になってみる
人が内心感じたことについては、それは実際に感じたということであって、正しいも間違いもないです。ただ、その後どう行動するかというのは別の問題で、心の中で怒るのはよくても、言葉や行動で人を傷つけるのはダメです。そういう意味でも、やはり基準は行動のほうにあります。
悪口を言わないというのは人のためでもありますが、自分のためでもあります。ああいうことをしていると、自分が下げられて、魂のどこかが汚されたような気持ちになりませんか? それは、悪口を言う一瞬の気持ちよさみたいなものに釣り合うものでは全然ないと思います。
人間は誰も聖人ではないので、完全に善い人というのはどこにもいません。ただ、フリでもいいので善人になろうとする、ということには意味があります。そうすることで、たぶんあなたは実際に善人に近づくし、本当のところ善人になる方法というのは、それ以外にはないかもしれないのです。
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