HSPブームの功罪を考える: その危なっかしい概念について

近年の流行

学問の世界にトレンドがあるように、通俗心理学とも呼べる領域にも流行があります。これを書いている2023年11月の時点で、SNSなどを見る限り、HSP(Highly Sensitive Person)という概念はかなり一般的になったようです。

HSPとは、簡単に言えば「繊細で生きづらい人」を指す概念です。HSPは医学的にきちんと定義された疾患名や障害名ではありません。それは血液型性格診断ほどトンチキなものではないかもしれませんが、発達障害のような医学的な概念とは分けて取り扱うべきものです。ネットで少し検索してみると、2020年頃から流行しているようだという見解があります。3年くらい前からですね。

まず、HSPという概念の正しそうな面や、肯定的な側面を考えてみましょう。人間の能力や性質というのは、人によってその強さがばらついているのが普通です。100m走のタイムのように数字で表せることもそうですし、美術に対する感性のような数値化が難しい事柄についても、その人の心がどの程度強く反応するかというのは、人によって明らかにばらつきがあります。統計学をかじったことのある人なら、正規分布のグラフの曲線を思い浮かべることでしょう。そう考えると、「繊細さ」をどのように定義するにしろ、事実として「人より繊細な人」が存在すると考えることは自然です。

また、自分の性質を自覚すれば、それに対処する具体的な方法を得ることができます。どうも自分は怒りっぽいようだとか、目上の人に対してだけ何故か萎縮しがちだとか、そうしたことは言語化して自覚しなければ直すことができません。逆に、対人関係で起こる問題というのはそこまで千差万別なものではなく、それなりにパターン化して理解ができるものですから、そうした問題の改善について書かれた本やネット上の記事というのはたくさん存在するはずです。自分が繊細なほうなのだという傾向を知ることができれば、それによって起こりがちな心理的な問題や実際的なトラブルを知ることができて、対処のためのノウハウを知ることが可能になります。SNSで仲間を見つけて、情報を交換しあったり、日々のやりとりで支え合ったりすることも可能です。

以上の点は、HSPという概念の問題がなさそうな側面です。では、何が問題なのでしょうか?

対立と葛藤

HSPという概念が世間に流通し始めたとき、私は「かなり危なっかしい概念だな」という印象を受けました。これは自己にラベルを貼る行為であり、本来複雑な存在であるはずの自分と他人を過度に単純化することに繋がります。HSPという概念は、心に平穏をもたらすためのツールというよりは、むしろ心の中の葛藤を固定化してより強くさせる可能性を持っていると感じています。

自分を「繊細なもの」と定義するなら、そのとき必然的に「繊細でないもの」という概念が生まれます。つまりHSPの概念は、暗黙のうちに「繊細な私たち」と「そうでないあなたたち」という対立の芽を含んでいます。

自分を繊細であるとしたなら、相手は鈍感だということです。このとき、自分は鈍感な相手による被害者です。そして、自分が被害者ならば、相手は加害者ということになります。HSPの話とは無関係にしろ、普段の人間関係において、自分のことを常に被害者なのだと思い込んでいるような困った人を、あなたは見たことがあることでしょう。

人間は誰も完璧ではなく、人間関係というのは相互作用です。道を歩いていていきなり知らない誰かに殴られたといったケースを除けば、完全な被害者と完全な被害者というラベルで物事を正しく理解することはできません。こうした理解は現実に即していないので、必然的に周囲との対立や摩擦を生み、そうしたうまくいかない現実が、心の中にさらなる葛藤を生み出します。

また、「特別に繊細な自分」という自己規定は、世間一般の人たちから自分自身を切り離す行為です。人間が平和な心持ちで生きていくのは、「人間はそれぞれに異なるし、理解し合えない部分もあるけれど、それでも他の人間たちは自分の仲間なのだ」という感覚がどうしても必要です。ここで「私が繊細だからなんだ」という理解をすることは、一時的には理不尽な現実に対する防壁となるかもしれませんが、そのあとに残されるのは、世間から冷たく切り離された自分自身という存在です。自分は孤立していて、世間は闘う相手なのだと感じているとき、人が幸せを感じるのは難しいことです。

こうして考えると、HSPという概念はあなたを救い上げてくれるものではなく、むしろあなたを落っことして抜け出せなくさせる、落とし穴のようなものだと言うことができないでしょうか?

複雑な現実を否定しない

これを書いている私自身、メンタル疾患の経験もあれば人付き合いもまったく上手なほうではないので、自分の性質ゆえに世間とうまくやっていけないという悩みを抱えている人を突き放すつもりはありません。このブログでは、人の生き方についてのヒントをいろいろと考えていますが、読者のターゲットとして想定しているのは、どちらかというと私によく似た、そうした人間関係に不器用な人たちです。

多くの人は「社会は複雑であり、人間という存在も人間関係も複雑であり、単純明快に説明づけたり対処したりすることはそもそもできないのだ」という事実に耐えることが難しいようです。それで現実を単純化して、わかりやすい概念で捉えるといった状況が発生します。HSPと並んで、近年よくSNSのプロフィールなどに書かれているのが、MBTIと呼ばれる性格診断の結果です。ESTPとかINFJといった、アルファベット4文字が書かれているのを見たことがありますね。私も昔はエゴグラム(交流分析の手法)などが好きだったので、性格診断的なものに惹かれる気持ちはわかります。しかし、これもやはり本来複雑で多面的であるはずの人間性を、キャラクター類型として単純化して理解しようとする試みのように感じます。

目の前の困難な現実を投げ出したいということはよくあると思うんですけど、これはやっぱり辛くても耐えなければいけない種類のものなんじゃないかなって思います。現実に向き合って生きていないと、現実に向き合っていないということは自分でも薄々わかるので、後ろめたいような苦しいような気持ちになるはずです。

弱いのは悪いことじゃないけど、弱さに負けたいとは思いませんよね。もしあなたがHSPという概念を使うなら、それは苦しい現実からの避難所としてではなくて、現実に対処するためのツールとして使うべきです。心理学の本を勉強するのはよいことです。ただ、現実から逃避したいというニーズを満たすための甘くてぬるいメッセージで売ろうとしている本も存在するので、そうした罠には気をつけたほうがいいと思います。

自分の弱さや生きることの大変さを認めつつも、それに折れてしまうことなく、毎日を頑張って生きていけるといいですね。

関連記事

このブログでは、人の心理や生きづらさへの対処法についてよく書いています。以下の関連記事や、「おすすめの記事の一覧」のページなどもよければチェックしてみてくださいね。

心の中の話:心の仕組みを理解する

心の中の話:前を向いて生きる

心の中の話:ネガティブへの対処