生き延びられる場所を探せ、戦えるフィールドを探せ

なるほど、自分はインターネットの海でしか生きられない生き物だったんだな、と最近気づきました。

学校に馴染めなくてパソコンが友達だった10代の前半、私はプログラミングというものに出会い、テクノロジーの世界と創作表現の喜びについて知ったのですが、もちろん家の中でパソコンに向かってばかりいる生活には満足していませんでした。10代の後半は学校社会にも適応して、勉強をそれはもうめちゃくちゃ頑張って、新卒で就職したときには見事、第一志望の会社に入ったのです。OK、おれはまったく妥協しなかった! 素晴らしい!

その後、私は会社員生活で体調を崩しては休み、休んでは復帰し、ということを10年以上にわたって繰り返すことになります。これについては、最近ようやく納得したことがあります。フルマラソンのタイムを5分縮めようというのなら、それは可能な目標ですが、海で暮らしている魚が陸で生活しようというのは不可能です。それは努力の問題でも、根性の問題でもなくて、単に私の身体がそのような生活に耐えられるようにはできていない、というだけの話でした。

何かに対して「絶対にできない」という立場を取ることはあまりよくないのですが、人生は有限なので、少なくとも10年以上かけてできなかったことを今後も続けようというのは、おそらくまずい選択です。そういうわけで、私は人間社会から少し距離を置いて、ものを書くということで社会と関わって生活していくことはできないかということを模索している最中です。

得意なことや好きなことを仕事にしよう、というのはよく言われることですね。私はバランスの悪い人間なので、徹底的に長所を活用して、徹底的に短所を避けるという方法でしか生きていけません。ただ、これは私ほど極端な人間でない人に対しても言えることだと思います。

短所って正直、どうにもならないですよね。だったらそれをうまく避けて、自分が自分のままで生き延びられる場所を探したほうがいいのではないでしょうか。あなたが今の姿で生まれたなら、もう別の人間になることはできないんです。短所を避けるっていうのは現実逃避ではなくて、むしろ現実に対処するための現実的な方法です。

簡単ではないですが、みんなが自分の生きていく場所を見つけられるといいなって思っています。

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少し離れた話

自分らしくあるとは、自分を制御できること

表現者が持っているもの

私はかなり雑多な音楽を聴くほうなのですが、シンガーソングライターという形式には面白さを感じます。音楽には人間同士の化学反応があるので、バンドという形式も聴いていて楽しいのですが、ギターひとつと歌声だけで自分の世界を表現する彼ら彼女らは、より強く個性というものを感じさせる存在です。

考えてみると、シンガーソングライターというのは多才な人たちです。あの形式を成り立たせるためには、ひとりの人間の中に作詞、作曲、歌唱、楽器演奏という最低でも4つの独立した技術が必要なはずです。その上で、それらすべてが合わさったときに、人を惹きつける「その人にしかない何か」というものが現れている必要があります。

もっとごく一般的な、会社の中で働いている人だって、何か仕事をしようと思ったら複数の領域の知識や能力が必要になることが普通です。たとえばデザイナーであれば、人間がものを見るときの認知特性だとか、素材の知識や印刷の技術について知っているはずです。すごく頭を使う専門性の高いことをやっている人だって、社会や組織の中で働いている以上は「他人と協力して物事を進める」という人間的なスキルを必ず持っています。

さて、何か価値のある仕事を行える人というのは、複数の技術を持っているものだという話をしました。ここで注目したいのは「複数の」という点ではありません。彼らが「技術を持っている」ということ、それが今回のポイントです。

センスだけでは何もできない

私たちが感情のこもった歌を、言葉を聴くとき、剥き出しのその人そのものの存在というものに直面しているように感じます。しかし、その感動を支えているものの正体は、表現者が持っている技術です。心を揺さぶる歌声というのは、正確なピッチで、安定した声量で、明瞭な発音でできています。心を揺さぶる言葉は、おそらく書いては捨て書いては捨てという試行錯誤を繰り返した結果として出てきたものです。

センスだけで何かが表現できるということは絶対にありません。ひとりの音楽好きとしての私は、クラシックの世界でよく見られるようなテクニック至上主義には明確に反対しています。そうした音楽はもう、はっきりと面白くないんです。ポピュラー音楽の世界、たとえばパンクなどのジャンルでは顕著ですが、技術的に上手いというわけではないのに魅力溢れるミュージシャンというのはたくさん存在しています。ただ、それでも彼らの中にはある種の技術というか統一されたバランスのようなものが存在していて、それはライブのような演奏活動の繰り返しで培われているはずです。仮にパンクロッカーの人たちがめちゃくちゃやっているように見えても、本当にめちゃくちゃにやっているだけでは、あのようなものは出てくるはずがないんです。

楽譜がベースにあるクラシックのような音楽の対極として、即興演奏に醍醐味があるジャズのような音楽があります。ジャズミュージシャンというのも面白い存在です。彼らが普段から自分の音楽表現についてしっかり考え抜いていないなどということはありそうもないですが、演奏中は「考える」などという次元にはいないでしょう。出てくる音は常に新しいですが、それを支えているのは過去に存在した偉大なミュージシャンたちの演奏を聴き込んだという経験です。音楽が生まれるのがハートの中だとしても、それを外の世界に生み出せるのは「指が動く」とか「息が出る」といった物理的な動きだけです。ジャズミュージシャンがのびのびと、自由に、創造的に音楽を表現しているとき、それは「楽器を自分の思ったとおりに正確に制御できる」というその人の能力に支えられています。

音楽家に必要なのは、ハートの中にある感性だけではなく、頭の中にある知識だけでもなく、それを表現するために訓練された身体というものを含む、全体としてのその人の存在です。このような人が持っているものは、広い意味での技術だと言えます。彼らは表現のための技術を持っているのです。

もっと自由になれる

たまに外出したとき、どうしてもおもちゃを買ってほしいと主張していたり、行きたくない場所に連れて行かれそうになったりしていて、床で転がって大泣きしてる子どもを見かけることがありますね。あれはあれで全身で自由が爆発しているので面白いですが(お父さんとお母さんは大変ですね)、人間として見れば、これは不自由な状態であると言えます。

生まれたままの状態が自由だということはありません。自由というのは、頑張って獲得するものなんです。子どもは天真爛漫で自由だ、なんて言われることがありますが、あなたが子どもの頃って本当に自由でしたか? 私はそれは、かなり疑わしいことだと感じます。大人になるっていうのは、自分の力で自由を獲得するということなのではないでしょうか。

これは何か専門的な技能を身につけて仕事ができるようになるということでもそうですし、仕事でも家庭でも交友関係でも、人付き合いというのは技術でできています。自分の人生についてよく考えて、それをうまく舵取りするということにも技術が必要です。

技術を身につけると、周りの物事がうまく制御できるようになります。結果として、あなたは自分らしく生きるということができるようになります。自分らしさというものを、生まれ持ったものではなく、身につけた技術だと捉えることが大切です。

もしあなたに足りない技術があったとしても、それはこれから身につけることができます。そうすれば、あなたは自分の人生をもっと楽しくしていくことができるはずです。

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少し離れた話

小ネタ集 2023年11月

X (Twitter)のアカウント @shiroi_ze にポストした、断片的な思索および小ネタをまとめました。2023年11月分です。

接客中の若い女の子の愛想がいいのはそれが仕事だからだよ、敬意を持て敬意を 大人として振る舞えないおっさんは大人じゃないぞ

2023/11/2 18:51

何かしたいときより何もしたくないときのほうが多いのにちゃんと生活してるなんて偉すぎるな

2023/11/3 12:38

「熱中症って素早く言ってみて」
「ニョッッ」

2023/11/3 18:32

美容院でシャンプー時にぬるすぎるシャワーが直撃、「熱すぎる」はわかるとして「ぬるい」にも「すぎる」ってあるんだ…

2023/11/5 10:03

美容師さんの言う「3センチ」って人によって最大で2倍くらいの開きがある概念だよね

2023/11/5 10:04

属人的な仕事をマニュアル化して誰でもできるようにしようっていうのは思想としては間違ってはいないんだけど、そもそも膨大なトラブルシューティングのノウハウが必要で、簡単に決まりきった手順に落とし込めないものに対してそういう要求をされて「お前…お前…」という気持ちになった経験はあるなあ

2023/11/5 14:52

プルコギって言うほどプルプルしてないじゃん、アメリカならとっくに訴訟が起きてるでしょ

2023/11/5 17:34

カニをぶつけたらそれはもう物理的にチョキというよりグーでしょ

2023/11/9 7:36

子どもの頃にポケモンが技を4つしか覚えられないことにツッコミを入れていたわりに、大人になった今では4つどころか1つの特技もないみなさん…

人間が他人の不幸が好きだなんて嘘、隣で人が笑っていれば笑うし泣いていれば泣く

人の誕生日って覚える必要がないのにわざわざ覚えてるところがいいんだから、SNSで当日に通知させる仕組みなんてガッカリだよ、おれはあの「えっなんで覚えてくれてんの!? 嬉しい!!」ってやつを突然やったりやられたりするのが好きなんだよ

イケメンが「僕がメントスで君がコーラだよ…? 」って囁いてそのまま爆発するCM

「あちらのお客様からです」って言って伝票渡したい

「あちらのお客様からです」って言われて伝票渡されたら、自分の伝票も重ねてまた別の客を指して「あちらのお客様にお願いします」って言って返す、この世界では油断した者から死ぬ

帰宅部にも甲子園を目指す権利はあるだろ

コーギーのおしり教の教祖になって一儲けしたい

誰か文鳥に「人間の目玉を突いてはいけない」ということを教える方法を知りませんか? ふみ子が喜んで人間の目玉を突いてくるので、人間はとても困っているのですが……

やる気マシマシでって注文したら食べきれないくらいのやる気が来てほしい、頼む

ご飯の上にスマホ落としたけどスマホがご飯の上に突き刺さってるせいで写真撮れなかった、お行儀が悪すぎでは?(私が? スマホが?)

大阪万博の会場で建設の遅れが懸念されていますね。太陽の塔を巨大戦闘ロボに改造して、傲慢都市東京を火の海にするしか大阪が生き残る道はないと思います。日本の首都は大阪です。大阪府民は立ち上がるべきです。

ブラウニーって語感でちくちくしてないの納得してない

この社会で自分らしく生きていくために必要なたったひとつのもの、それは札束……

インターネットでたまにいる年齢性別職業すべてが不明の妖精みたいな人好き

だから、下手でもいいから自分で何かやらなきゃダメなんだってば! 人の言葉を借りるな、自分の言葉で語れ! 外野の言うことは放っておけ! 今すぐ何か始めろ! 何もなさずに墓場まで行くつもりか? よそ行きの服を着ろ! 早く踊れ!!

「コンセント」や「鍵」のような、さす側なのかさされる側なのかが曖昧な概念

20XX年、すべてをピャッと片付けるピャッとGPTが「人類がいないほうが何かと早くてお得」と結論を出したことを発端に、人間とAIとの長い最終戦争が始まる……

昼ごはんや夜ごはんの他に、虚無ごはんやモフごはんなどが存在

2023/11/18 17:02

SNSに自撮りを上げられるような自己認識を持ってる人間の言う孤独感とか生きづらさみたいな言葉は1ミリも信用してない

2023/11/19 11:07

舞茸を唐揚げにするとすごくおいしいと聞いたので、みなさんも舞茸を買ってきて唐揚げにしてくださいね。揚がったタイミングで私が玄関のチャイムを鳴らします。よろしくお願いします。

2023/11/19 16:58

すみません、うちのふみ子が多額の現金がほしいと言っているので誰か送ってくれませんか? 私じゃないですよ。文鳥がそう言っています。本当です。わがままな文鳥がそう言ってるんです。送金先はにゃんにゃん銀行の宇宙支店、口座番号は……

イーロンの笑い声が「エーックスクスクス…!」だったらどうしよう、怖い

2023/11/20 7:56

惜しかったタイムトラベラー「おかしい…この時代にはマリトッツォが爆発的な流行を見せていたはずだが…」

勤労感謝の日を批判するわけじゃないんですけど、そろそろ無労働感謝の日があってもよくないですか?

今年のノーベル頑張ったで賞、受賞者は「おまえら」と発表

近視の人間は風で飛ばされてるビニール袋を見ただけで「あっ白いネコチャンだニャーン♡♡」とか普通に勘違いしてますからね

人の頭の中は論理と感情の2つに分けられると考えられがちだけど、どちらにも属してない領域があると思う。「これが心から好きだし大切だから、真剣に突き詰めていきたい」みたいなことって、言語的な説明の範疇にないから論理ではないけど、一時的な心の動きにも左右されないから感情とも違うよね

「人のおばさん構文を笑うな」「人のシチューライスを笑うな」といった論点が存在

チョロいのでバスドラムとハイハットが同時に鋭く鳴らされるだけでテンションが上がってしまう

多趣味と言うからには盆栽とクラシックバレエと大型二輪ですって言える程度には広がりがあってほしい、カメラとゴルフやってるくらいで多趣味だなんて世界に対する認識が甘すぎる

高校で世界史の先生が「素晴らしい!」っていうのが口癖で、みんなからちょっと面白がってネタにされてたんだけど、今思えばあれは大人としてすごく偉い人だったと思う。大人になったみなさんは、周りの人に対して実際に素晴らしいと感じたり、それをちゃんと相手に伝えたりしていますか??

大人になるって、他人が頑張ってるということとか苦しんでるということを、頭と心の両方で理解できるようになるってことなんじゃない?

モフモフの小型犬が服を着せられることで鉄アレイのようになっている状態の愛称を公募したいと思うのですが……

散歩中の犬がピカピカ光る首輪をつけて歩いてるの羨ましいな…おれもピカピカ光る何かを全身に身につけてゲーミング人間になろうかな…

すみません、SNSで恋人の自慢をしないでください。私が死にます

「昭和生まれですが」って前置きを目にして怖くて泣いちゃった

年収1000円オーバーの私が指南してやるか、「稼ぎ方」ってヤツを……

白は200色あるそうですが、シロイも200種類います

モップのような犬を目撃、モップだったかもしれない

おれの大切なフォロワーたちを暗い気持ちにさせる月曜日をおれが許すと思うか?

「アツい」と「cool」の指すものがそんなに違ってないの面白いな

今日も文鳥に耳を食べられています、住職が耳にお経を書き忘れたので…。

わくわく動物野郎って一回呼ばれてみたいな

長くインターネットやってると、うわっ何この人めちゃくちゃ面白い! ってなって、過去の投稿内容を延々と遡っちゃうようなことってない? 私はそういう存在になりたい。誰かに面白いって感じてほしい、変な奴でもやろうと思えば面白いことができるんだな、って思って勇気づけられてほしい

ブログ雑感 2023年11月

当月の振り返り

ブログ雑感の2回目です。「シロイの連想日記」を始めてから、2ヶ月と少し経ちました。今日も頑張っています。

この11月は、noteのアカウント シロイ (shiroi_ze) を新しく始めました。noteって読書好きの人が集まるみたいだから、いつかやってみたいな、でも既にこのブログもやっているしどうしようかな……と以前から考えていたのですが、noteのほうにはエッセイを書くという方針でひとまずやってみることにしました。既に何本か公開しています。あと、週刊でブログのおすすめ記事とその週の小ネタを紹介するという「シロイの連想通信」も始めました。

先月のブログ雑感でも書いたとおり、こちらのブログでは書き溜めた記事を順番に公開していっているので、ある記事が書かれた時期というのは、それが公開された日よりもけっこう前です。これを書いている11月終了の時点で、来年の1月半ばくらいの分まで公開待ち記事のストックがあります。(数えてみると、公開待ちの記事が46件、書きかけの記事が63件ありました。書きかけの記事が多すぎだろ、という感じですが……)

何か意味のあることが書けているぞ、だんだんうまく書くことができるようになってきているぞという強い手応えを日々感じていて、嬉しく思っています。うまくやれているという手応えがあると、書くこと自体も楽しくなります。書くという生活習慣もだいぶ定まってきました。最近は体調もいいので、すごく充実しています。生活が充実してるときって時間の密度が濃いので、2〜3週間のことがだいぶ前のように感じられます。考えることや書きたいことに対して、実際に書くということが追いついていないような感覚もあります。

先月のブログ雑感で「おれは物書きになるぞ」という決意について書きました。何かを商売にするというのは簡単なことではなくて、単純に楽器の上手い人がミュージシャンになれるとか、イラストが上手い人がイラストレーターになれるとは限りません。商売は商売で、考えるべきことが無数にあります。ただ、今はシンプルに書くという能力を向上させるのが私のやるべき仕事なのかな、と思っています。

私が本当に書きたいテーマについても、はっきりしてきた気がします。それは「前向きに人生を肯定する」ということです。私が今、こうして何かを書いているということ自体が私自身の人生の肯定に繋がっているのですが、私の経験をもっと普遍的に応用できる形でみなさんに伝えられたらいいなと思っています。

先日、SNSに以下のような投稿をしました。

ブログを書き続けててnoteも始めて、結局私が何をやりたいのかっていうと、みんなで人生を肯定しようぜってことなんだよな、私は負けたくないと思ってきたしみんなにも負けてほしくない

というわけで、12月も頑張っていきたいと思っています。

おすすめの記事

noteで週刊の「シロイの連想通信」を始めたので、おすすめ記事はそちらに載せることにしました。11月の連想通信は以下です。

いつだってベストを尽くしている

自分はいつだってベストを尽くしている、と意識しておくのが肝心です。

人生をよりよくしようと思ったら、反省とか見直しといった作業はときどき必要になりますが、後悔というのはなくてもいいものです。反省は未来のために行われますが、後悔とは既に存在しない過去に囚われることであり、それはという時間を台無しにしてしまいます。

宝くじの当選番号が発表されたあとに「その番号だけを買っておけばよかった」と思う人はいませんよね。競馬場でレースが終わったあとに、「あの馬券を買っておけばよかった」という悔しさが起こることはあるにはあるかもしれませんが、まさか現実に未来を知った上でそれを買うことができたとは思っていないはずです。

「未来について知ることはできない」という当たり前の現実があって、人間には「すべてを知ることはできない」という限界もあるので、そこから必然的に「判断を下すための情報が十分にない状態で判断しなければならない」という状況が生まれます。宝くじに関して言えば、その結果が不明であるということは誰の目にも明らかなので、よほどおかしな人でない限り「こうすればよかったのに」と思うことはありません。

しかし、新卒で就職先を選ぶのに失敗しただとか、結婚したパートナーの家族間で見せる人間性に問題があったということに関しては、人は同じように考えることができません。いつでもそのとき手に入る情報をもとに慎重に判断していて、その時点で未来の失敗を完全に予測することはできなかったはずなのに、人は「あのときああすればよかったのに」という感情に囚われてしまいがちです。

テストがあることを知っていたのに勉強しなかったので後悔している、という学生がいたのなら、それはちょっと改善したほうがいいことです。しかし、大人が普通に直面する大きな後悔というのは、そういう種類のものではないんです。あなたはベストを尽くしていたけど、それでも失敗した。世の中ではそういうことがよく起こります。

人生は難しいので、いつでも頑張りが必要とされます。仮に十分に頑張れなかったとしても、それは普段頑張っていることでエネルギーが足りなかったということですから、全体として見ればやはり頑張っているんです。そういう事実がある以上、自分を責めるということは本来はしなくてもいいことのはずです。

いつでもベストを尽くしている自分を認めてあげましょう。

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