片想いばかりで嫌になっちゃう

人付き合いにおいては、自分が相手に関心を抱いているほど、相手が自分のことに関心を抱いてくれるとは限りません。アンバランスであることのほうがむしろ普通です。

あなたが誰を好きになるのか、それを決める権利を持っているのはあなただけです。全然知らない人にいきなり「俺のことを好きになれよ!」って言われても困りますよね。これは場合によっては通報モノです。もう少し現実的な例を出せば、あなたがあまり関心を持っていない相手から好意を向けられるということが、たまにあると思います。そうしたときには、ちょっと申し訳ないことだとはいえ、その相手の好意に答えるというのは義務ではありません。

これは他のすべての人にとっても同じです。あなたの気持ちがどうであれ、その人が誰をどの程度好きになるのかということについて、他人であるあなたがとやかく言うことはできないのです。

好きな人に関心を持ってもらえないというのは、すごく悲しいことです。相手から好いてもらえるように努力する、という視点ももちろん大切です。ただ、根本的にはこれは小手先のテクニックの問題ではなく、ご縁がないときはご縁がなかったのだ、そういうものなのだという認識を持つことが必要です。

特に恋愛においては「運命の人だ」といった言葉が使われることがありますが、そうした感覚は期待しないほうがいいと思います。これも相手の視点から考えることが大切で、さほど親しくない人から「あなたしかいないんだ」と言われたら、それもちょっと怖いですよね。他の人から見てみれば、それはただの思い込みです。

軽薄だったり不誠実だったりしてはいけませんが、期待と執着が強すぎるのも考えものです。お互いの関心が一致を見ることはなさそうだな、ということに気づいたら、それが悲しくても、現実をまっすぐに見ましょう。

幸いにも、この世には無数の人間がいて、あなたのことを好きになってくれる人や関心を持ってくれる人は必ずいます。切り替えて次に行きましょう。人生は長く、この先にもたくさんの出会いが待っているので、心配は要りません。

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いつでも準備不足で本番が始まる

これは何をやっても言えることなのですが、現実の世界では、基本的に何かをするときに十分な準備ができているということはありません。

もっと上手くなってからステージに立とう、と言っているミュージシャンは、いつまで経っても上手くなることはないです。もっと恋愛経験を積んでから本当に好きなあの人に向き合おう、などと言うことはできません。そういうことをしてチャンスが待っていてくれるということは絶対になくて、何かを掴めるのは、いつでも準備不足のまま本番に飛び込んだ人だけです。

何かについて、失敗せずに上達することはあり得ないというのは、頭で考えればたぶん誰でも理解できますよね。でも、多くの人にとってそれは「頭では理解している」というだけのことで、本当に失敗して経験を積む覚悟ができている人っていうのは意外と少ないです。失敗したら恥ずかしいと思うんですよね。本当は失敗なんて全然大したことではないのに。

自分の価値観の中心を占めるような真剣な挑戦になると、あまり才能がないという事実に直面するくらいならやらないほうがいい、と無意識に諦めてしまっている人もいます。そうなると本番自体が始まりません。

別にいいじゃないですか、特殊な存在にならなくなって。有名人になるとか、成功者になるっていうのは本当に取るに足らないことです。人生が始まった以上は、舞台に立ちましょう。何かやってもやらなくても、人生はそのうち終わってしまいます。それなら、何かやったほうがいいですよ。

自発的な挑戦というものがある一方で、チャンスは向こうからやってくることも多いです。自分の意図しないところで本番が始まったのなら、それはラッキーです。あとはそれに乗るのか乗らないのか、という話になります。それを決めるのはあなたです。

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無条件に好いてくれる人がいる(常にいる)

2:6:2の法則

特に根拠があるわけではない経験則だと思うのですが、「2:6:2の法則」と呼ばれるものの派生で、こんな考え方があります。あなたの周りにいる2割の人は、あなたがどんな行動をとってもあなたを好いてくれる。そして反対側の2割の人は、あなたがどんな行動をとってもあなたのことを嫌う。残りの6割の人は、特に好きというわけでも嫌いというわけでもなく、中立的な立場を取る。

具体的な数字については、人によって異論があるかもしれません。人って周りの人にそこまで強く関心を持っているわけではないですから(人間はけっこう周りに対してテキトーです)、中立的な人は6割よりもっと多いんじゃないの? という考え方もできますし、近しい人に限って考えれば、案外2:6:2というのは当たっているかもな、という考え方もできます。

ここで、割合が正確であるかということは重要ではなくて、注目すべきなのは「好かれるとか嫌われるとかいうことに対して、あなたの行動というのは意外と関係してないんだよ」という視点です。周りの人に受け入れてもらうために、ちょっとした努力やマナーといったものが必要であるとしても、最終的に好かれるか嫌われるかなどというのはどうにもならなくて、いつでも好いてくれる人と嫌ってくる人というのはいるわけです。

好きでいてくれる人にフォーカスを合わせる

この世で気分よく生きていくコツは、ネガティブなことに心のフォーカスを合わせないことです。社会人としてのマナーや配慮といったことに問題がないのなら、あなたのことを気に入らないという人に対して、あなたが関心を払う必要は一切ありません。人間はよいことよりも嫌なことに意識を向けてしまう性質があるので、これは意識して修正すべきです。

あなたに対してエネルギーと関心を注いでくれる人間が常にいるので、自分自身のエネルギーと関心も、そうした人にこそ向けるべきです。基本的には、まずはあなた自身が好きだと感じる人と関係を築くように努力したほうがいいですが、自分が好きだと感じるほど相手は自分のことを好きになってくれない、ということはそれなりにあります。

そんなとき、逆に誰が自分のことを好きになってくれているだろう、と周りを見渡してみてはいかがでしょうか。そういう人は、常に必ずいます。人間同士の性格がピタリと一致することはまずないので、そうした人はあなたとやや違う性質を持っていることでしょう。最初は「仲良くなれそうだ」という印象をそこまで強く受けないかもしれません。

実を言うと、性格が一致するというのは人間関係においてそこまで重要な要素ではないです。相手が自分に対して何かを感じているなら、これは目を向けてみる価値のあることです。そこには自分の意思と予測の範囲内にはなかったような、新しい関係が生まれる可能性があります。

可能性に身を任せる

これは現実から外れた希望的な観測ではないです。学校でも職場でも、どうしても付き合わなければいけない固定的な関係というものが存在する一方で、勇気を出すことで関係を広げていける余地というのは無数に存在しています。

その上で、現代ではSNSの発展により、自分と気の合う人間を見つけるということが非常に容易になっています。「今の関係がうまくいかなくても、世の中には人間がいくらでもいるんだから」というのが、気休めの言葉ではなく、手の届く現実になったわけです。

目的を持って主体的に行動することが大切だというのも事実ですが、自分をオープンにして、あちらから来るものに身を任せるということも、人生を面白くする上では必要です。

恐れずに自分を表現してみてください。あなたのことを見つけてくれる人が、どこかに必ずいるはずです。

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勝手に我慢して、限界が来ると爆発する人の話

それは何の前触れもなく

私自身にもそのような傾向はあるのですが、「勝手に我慢して、限界が来ると爆発する人」というのがいて、周りの人にとっては少し困った存在になることがあります。何か「相手のココが嫌だな」と思っているのですが、それを指摘したりすることはできず、かといってうまく受け流したりすることもできず、我慢に我慢を重ねてしまい、最後には爆発してしまいます。

爆発というのは、ものすごい勢いでキレてしまったりとか、何も言わずにブチっと縁を切ってしまったりとか、とにかく何らかの極端な行動という形を取ります。ただ、相手からしてみればそういう行動を取られるまでに何のサインも前触れも警告もありませんから、当然相手は困惑することになります。この間まで笑顔で接してくれていたと思ったのに、どうして?

同じ場所に複数の人間がいて、何もかもが摩擦なく進むということはまずないですから、お互いに何か思うことがあるというのは普通のことです。そういう中で必要となるのが、説明と対話です。言わなくても伝わるということは基本的にありません。あったとしても、それは他人に対して常に期待すべきではないことです。

伝えることにはスキルが要る

これは「自分の中に溜め込んだりせずにちゃんと言おうね」というアドバイスになるのですが、爆発してしまいがちの人が、これを聞いたからといってすぐにできるようになるとは限りません。すぐにはできないことのほうが多いでしょう。人付き合いというのは、習慣とスキルでできているので、頭で理解したからといってすぐにできるようなものではないからです。

自分が相手の行動の中にある何かを嫌だなと感じていて、それを改善してほしいと思っている。ここには「ネガティブな感情を抱いていることを表に出す」ということと、「相手に改善してほしいことを要望する」というふたつの要素があって、これはどちらも容易ではないことです。ネガティブな事柄にはできれば触れないでおきたいし、人に何かを指摘したりお願いしたりするのは心のエネルギーを要することです。

こういう場合のわかりやすいテクニックの例として、「感謝を伝えて、改善してほしいことを伝えて、再び感謝で締める」という話し方があります。私はあなたに敵意があるわけではないし、責めたいわけでもないんだよ、ということを明確に伝えるわけです。ただ、感謝というのは改まって言うには少し恥ずかしいことがありますし、大げさに言えば逆に嘘くさくなるという性質があります。そのため、これを自然にさらりと伝えるには、ある程度の慣れと技術が必要になります。

認識することが第一歩

心理的な成熟を測るための物差しとして、「曖昧なものを許容できるか」という点があります。爆発してしまう人は、だいたいにおいて極端な立場や行動を取りがちです。我慢するということの心理的な背景には、「常に仲良くやらなければならない、ネガティブなことは決して出すべきではない」という強い信念があります。そして、最終的に爆発するときには精神的な無理が重なってタガが外れていますから、結果的にすごく非常識な行動となって現れがちです。

最初の信念は、どちらかというと人に迷惑をかけないようにしようという配慮によるものですから、これが最終的に周りの人を困らせるような行動として現れてしまうのは、皮肉なことだと思います。ある極端から、反対側の極端へと振れてしまうわけです。ここで取るべき立場は、その中間にあります。それが冷静に伝えるということです。自分はちょっと気を遣うし疲れるし、相手は少し動揺してしまうかもしれないけど、それでも言葉で伝えるという手段に出ることです。

もしあなたが「自分は爆発してしまうタイプだな」と感じたなら、それを直すことは手のかかる作業になると思います。誰だって、人に迷惑をかけたいと思ってかけているわけではないし、直せるならば直したいと思っているはずです。先に述べたように、これは心理的な習慣とスキルが絡む問題なので、わかっているから直せるというものではありません。

ただ、何かを「自覚する」ということは、それを直すための最初の一歩です。自分のまずいところというのは認めたくないものですが、それを認められたなら、大きな一歩を踏み出したことになります。

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生き延びられる場所を探せ、戦えるフィールドを探せ

なるほど、自分はインターネットの海でしか生きられない生き物だったんだな、と最近気づきました。

学校に馴染めなくてパソコンが友達だった10代の前半、私はプログラミングというものに出会い、テクノロジーの世界と創作表現の喜びについて知ったのですが、もちろん家の中でパソコンに向かってばかりいる生活には満足していませんでした。10代の後半は学校社会にも適応して、勉強をそれはもうめちゃくちゃ頑張って、新卒で就職したときには見事、第一志望の会社に入ったのです。OK、おれはまったく妥協しなかった! 素晴らしい!

その後、私は会社員生活で体調を崩しては休み、休んでは復帰し、ということを10年以上にわたって繰り返すことになります。これについては、最近ようやく納得したことがあります。フルマラソンのタイムを5分縮めようというのなら、それは可能な目標ですが、海で暮らしている魚が陸で生活しようというのは不可能です。それは努力の問題でも、根性の問題でもなくて、単に私の身体がそのような生活に耐えられるようにはできていない、というだけの話でした。

何かに対して「絶対にできない」という立場を取ることはあまりよくないのですが、人生は有限なので、少なくとも10年以上かけてできなかったことを今後も続けようというのは、おそらくまずい選択です。そういうわけで、私は人間社会から少し距離を置いて、ものを書くということで社会と関わって生活していくことはできないかということを模索している最中です。

得意なことや好きなことを仕事にしよう、というのはよく言われることですね。私はバランスの悪い人間なので、徹底的に長所を活用して、徹底的に短所を避けるという方法でしか生きていけません。ただ、これは私ほど極端な人間でない人に対しても言えることだと思います。

短所って正直、どうにもならないですよね。だったらそれをうまく避けて、自分が自分のままで生き延びられる場所を探したほうがいいのではないでしょうか。あなたが今の姿で生まれたなら、もう別の人間になることはできないんです。短所を避けるっていうのは現実逃避ではなくて、むしろ現実に対処するための現実的な方法です。

簡単ではないですが、みんなが自分の生きていく場所を見つけられるといいなって思っています。

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