悩みっていうのは、心が作り出す問題です。それはもちろん、単に「悩んでも無駄なのだから悩まないようにしよう」と決めたところで簡単に止められるものではないですが、それでも考え方と工夫次第で止めることが可能だということは知っておくべきです。
悩みを整理する上で便利な基準として、「その悩みは衣食住の現実的なニーズに関することか」というものがあります。たとえば、来月の電気代が払えないという事態になったら、それは生活に関わる現実的な問題です。しかし、周りの同年代の人たちと比較して年収が低いようだとか、能力的に劣っている気がするというのは、それだけでは実際的な問題を何も発生させていません。これは現実の問題ではなく、心が作り出しただけの悩みである可能性があります。
今、比較という概念が出てきました。これも実はわかりやすいサインで、人と比較して何かが足りないと感じるとき、それはほとんどが心が作り出した問題です。人が大金を持っているからといって、自分の財布の中身は減りません。人が自分よりイケてるとかモテるだとか、そういうのは本当にどうでもいいことなんです。
特に若いうちなどは、これが自分の容姿やステータスに関わる問題だと、冷静ではいられないかもしれません。ここ、たとえば自分が軽自動車に乗っているのに、同年代の誰かがバカ高いスポーツカーを持っていたらどうでしょうか? それを買えるだけのお金があることは羨ましく感じるかもしれませんが、スポーツカー自体は別に羨ましくはないかなと思う人も多いはずです。
私の個人的な自慢は、19世紀半ばから20世紀初頭にかけて作られた美しいアンティークの楽器を複数持っており、なおかつそれを普通に演奏できるということです。しかし、これくらい趣味の領域になると、ほとんどの人にとってはどうでもいいし、自分には関係がないと感じることでしょう。数百万円する腕時計はステータスの象徴かもしれませんが、それを特にステータスだと思っていない人にとっては、自慢げにしている姿がちょっとおかしく見えたりします。
人から認められたいという欲求は、人間にとって自然で大切な欲求なので、それを単純に子どもっぽいとか合理的でないとか言って切り捨てることはできません。人間は社会的な生き物なので、毎日ただ食べて寝て生きてるだけで満足だなんてことは言えないと思います。これは何事も程度問題で、人と比較することが前向きな向上心に向かうものならばいいですが、ステータスの追求になってしまえば心が振り回されますし、強い執着になると病的な問題になってくることもあります。
比較に関する悩みについては、本質的には必需品でない、食べられたら嬉しいおやつのようなものだと捉えておくべきです。確かに、おやつはあったほうが人生が豊かになります。それを求める努力をするのもよいことです。それでも、それがないというのは別に大騒ぎするようなことではないし、もう死んでしまいたいだとか言って深刻に悩むようなことでもないはずです。
「自分の悩みは気のせいかもしれない」という視点は、ときどき思い出すといいと思います。
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