原石を探す、原石を磨く

才能を秘めたもののことを「原石」と呼ぶことがありますね。この言葉はひとつの事実を反映していて、それは原石が宝石として光り輝くためには、必ず磨く必要があるということです。

才能は自分の内側にありますが、それを形にするものは常に自分の外側にあります。個性というのは、何かを真剣にやっていれば必ず勝手に出てきます。ただ、何かを真剣にやるというのはとても大変なことです。あなたがギターで自分を表現したいなら、あの難しいFのコードを押さえられるようになることが必要で(みんな一体どういう指をしてるんですか?)、これは個性云々というより純粋な修行の過程です。

あなたが何に向いているのかということを教えてくれる人はいないので、原石は磨くことからではなくて、まず探すということから始まります。そしてこれは、簡単に見つからないことを覚悟するべきです。当然ですね。きっと長い過程になります。

何も埋まっていない鉱山で何かを探したとしても、どうにもなりませんよね。これはある程度までは意識すべきことで、自分にとって才能のない領域よりも、才能がある領域を探すべきです。ただ、根本的な意味ではあなたにとっての鉱山はあなた自身の心身だけで、これはもう生まれた時点で確定しています。少し掘ってみたけど、何も出てこないようだから他の鉱山を探そう、ということはできないんです。

最終的に、あなたが何者になれるかというのは、あなた自身の心身に規定されています。ほんの10センチ掘り下げただけで、自分には何もないなんて思わないでください。原石が出るまで掘り続けましょう。出たら磨いてください。磨いたのに大して輝かなかったのなら、また別のものを探してください。何回でも何回でもやってください。

あなた自身がそれをやらないなら、他に誰もそれをやってくれません。早くやりましょう。

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だいたいいつも正気を失っている

私が個人的に使っている概念で、「正気に戻る」というものがあります。

これは、自分の視界を覆っていた雲がぱっと晴れたことに気づいた瞬間を指しています。雲というのは、悩み事とか心配事とか、なんとなく疲れて鈍くなったような気持ち、具体的な悩みとは言えないようなモヤモヤした気持ちとかのことです。これが晴れた状態というのは、平日に会社で働いている人なら、ぐっすり眠ったあとの土曜日の朝みたいな感覚だと言えばイメージしてもらえるかもしれません。

私が正気に戻ったときには、狭まっていた視野が元の広さに戻って、思い込みが思い込みであるという事実に気づきます。そして「なんでこんなことを思い込んでいたんだろう」と不思議に思ったりします。自分が真剣に考えていたことが実は全然重要でなかったとか、実は全然正しくなかったということに気がつきます。

中途半端な曇りの日に、雲が抜けて太陽が出たタイミングで部屋の中がスッと明るくなるのを見たことはないですか? あんな感じなんです。それまで「部屋が暗い」とは特に思っていなかったのに、急に明るくなって、部屋が暗かったという事実に気づくんですね。私はあの急に明るくなるタイミングが好きで、窓から吹き込んでくる涼しい風とか、秋の夜に聞こえてくる虫の声とかと同じで、自分を頭の中にある実在しない世界から、現実の世界に引き戻してくれます。

正気でないときに、自分が正気でないことに気づくというのは論理的に見てできません。いくら気をつけていても、いくら頭で理解していたとしてもできないんです。人間ってすごく簡単に正気を失うし、むしろ生きていたら正気を失っている状態のほうが長い気がします。仕事ばかりしていると正気を失うし、家の中でばかり過ごしていても正気を失います。

これはSNSを見れば明白ですね。政治について持論を叫ぶ人、自らの恋愛について語る人、ビジネスに邁進する人、どこに正気があるでしょう? インターネットで正気を見つけようと思ったらすごく苦労します。人間はすごく思い込みやすいし、信じやすいし、間違いやすいです。これは人類の理性の敗北だとかそういう真面目な話じゃなくて、人間ってほんとにしょうがないよね〜困ったね〜という話です。

人を正気に戻すのは、一杯のコーヒーとか散歩とか友人との会話とか、その人の性格と状況によっていろいろあります。私は酔っ払うことが幸せだとは思っていないので、なるべくシラフでいたいと感じます。できれば周りの人にも正気でいてほしいし、正気の人と会話がしたいです。

まあ、難しいんですけどね。人間ってほんとにしょうがないなって思います。

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おかしな世界に暮らしてる

20世紀の知識人の書いた本を読んでいると、共産主義という言葉がけっこう頻繁に出てくることに気づきます。現代の人からすると「なんで?」という感じだと思いますが、確かにこういうイデオロギーが全世界を二分した時代が存在したんですね。

イデオロギーというのは「何が正しいんだろう」という姿勢を放棄して「これが正しいんだ」という立場に逃げ込むことです。現実を理解するということはすごく難しくて、面倒くさい現実から逃避したいという人間の要求は根深いので、いつの時代でもイデオロギーは流行します。共産主義というのは、古いからその不自然さがわかりやすいだけで、今の時代にだって同じようなものはたくさん存在しているでしょう。

何が現実かというのはけっこう難しくて、たとえば人が「現実を見ろ」などと言うときは、単に「部族の風習を受け入れろ」ということでしかありません。それは別に現実ではないですよね。

100年経ったあとの世界の人とか、あるいは単に外国の人とかから見て、この人たちちょっと間抜けだよね、って思われるのは嫌だなと思います。思い込みを排除するというのは口で言うほど簡単なことではないので、いつだってちゃんと考える必要があります。だから、ちゃんと考えるっていうのはすごく大切です。

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久しぶりにワクワクしている

私にとって、今年である2023年はけっこう散々な年でした。春先に健康を害して会社を退職して、もう本当に何もしたくなくて、それは労働みたいな「やるべきこと」についても趣味みたいな「やりたいこと」についてもそうで、すべてが嫌になって、半年くらい鬱々と過ごしていました。

健康上の理由で会社を辞めるというのはもう何回目のことだかわからないくらいで、何も続かない、おれは何をやっても続かない、もうだめだ、いっそ殺してくれ、早く殺せ、という感じでした。とにかく、2023年というのは私にとって、何もかもおしまいという年になるはずだったのです。

風向きが変わったのは9月のことで、私はSNSのアカウントを作り直して、ネット上で名乗る自分の名前を変えて、2年くらい放置していたこのブログのタイトルも変えました。明確な決意や予感があったわけではないです。とにかくそうするべきのような気がして、そうしました。ひとまずブログで毎日必ずひとつの記事を公開するということを決めました。

書き始めてから2〜3週間して、あれ、もしかしたらこれが今の自分が本当にやりたいことなのかな、と気づきました。書きたい。意味不明な人生について書きたい。意味不明な人生で、私が本当に真剣に考えてきたことについて書きたい。今なら書けるような気がする。以前は書けなかったことが書けるような気がする。何か意味のあることが書けるような気がする。

人はできることなら何か真剣に打ち込めることを見つけたいと考えますが、それが本当に本当のことであるというのは稀です。夢中になることはいいことだからこれに夢中になろう、という対象を決めることは不可能です。ふと、私は8年ほど前に楽器の世界にのめり込み始めて、すごくたくさんの知り合いや友人や経験に恵まれたことを思い出します。あれは前もって計画されたものではなく、突然私の目の前に現れたもので、確かに私にとって「本当のこと」でした。

なるほど、人間は10年に1回くらい、「本当のこと」が目の前に現れるのかもしれない。私はこれを見たことがあるので、何をすべきなのかは知っています。見つけたらためらうな、決して放すな、手を放したらそれは消える。だからとことんやれ、ということです。

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軽率に自分を褒める

こうして言葉にするとバカみたいなんですけど、私は「自分って天才!」と感じることがちょいちょいあります。スポーツでも芸術でも、とにかく何かをやってみたことのある人にはわかると思うのですが、「うまくできる」ということはすごく気持ちがいいんです。

これは無理に自分を鼓舞するという意味ではないです。たとえば私は楽器を弾く人ですが、楽器に関して私は自分にあまり才能がないということをちゃんと理解しているので、演奏に関して「自分って天才!」と感じることはほぼありません。逆に、プログラミングをするとか文章を書くといった領域については、私は自分にある程度のことができるというはっきりした手ごたえを持っています。

何かを表現する上で、自分の中に客観的で厳しい目を持っておくというのは必要なことです。でも、自分に厳しすぎるとやる気がなくなりますよね。やる気がなくなるのはいけません。やる気というのは人からもらうこともできますけど、自給自足するのが基本です。

褒められることって実際、あんまりないじゃないですか。私も誰かの人間性が好きだとか、作品に感動したとか、なるべく伝えるようにはしてますけど、やはり世の中には圧倒的に「褒め」が不足しています。

自分に嘘をついてもしょうがないので、「褒め」には根拠が必要です。頑張る必要はあるんです。でも、みんなもう少し、軽率に自分を褒めるっていうことをしてもいいような気がしますね。

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